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民医連新聞

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ビキニ核実験の被害者は全人類 核兵器廃絶の重い扉を開け

 アメリカが太平洋で行った水爆実験で、日本の漁船員やマーシャル諸島の島民が被ばくしたビキニ事件(1954年3月1日)。第五福竜丸以外にも、のべ1000隻近くの漁船が汚染マグロを廃棄させられたことがわかっています。そのうち約27%が高知の漁船です。被災船員の存在をつきとめた高知・幡多(はた)高校生ゼミナール(幡多ゼミ)を指導した山下正寿さん(太平洋核被災支援センター事務局長)と、同センターの共同代表の濱田郁夫さんに、被災船員の過去と現在、今後の課題を聞きました。(松本宣行記者)

地球規模の環境汚染

 太平洋のビキニ環礁での6回の水爆実験の威力は、広島型原爆の3220倍。地上・水上で行われたため、サンゴ礁の塵(ちり)は成層圏に。「放射能汚染された塵は気流や黒潮に乗り、北半球や太平洋中心に拡散され、地球規模の環境汚染を引き起こした」と山下さん。マグロの一大消費国だったアメリカは、死の灰をあびたマグロの検査を要求。大衆魚の検査は要求されず、太平洋沿岸の人びとは、汚染魚を口にしました。

そのとき、沖縄では

 同時期、米軍統治下にあった沖縄では、汚染マグロをひそかに廃棄させられたことや、雨水を飲料水に利用する沖縄で、大量の放射能雨が降下したことを、山下さんたちはつきとめています。
 米軍の放射線測定は、欺瞞(ぎまん)に満ちた方法で検出ゼロと発表。どれほどの人たちが被ばくしたのか、記録もなく、全容は明らかになっていません。

核実験は未来と尊厳を奪った

 「幡多ゼミが調査した80年代でも、がんで死亡した被災船員は、40代で国民平均の6倍」。被災船員の生活に医療費が重くのしかかり、子どもが進学できなくなることもありました。医師も高知の漁船員が被ばくしているとは考えず、診断名も変わり続けました。山下さんは「被災船員たちがしんどかったのは、医師が話を信じず、相手にせず、笑ったこと」と、亡くなった被災船員の屈辱を代弁します。

ふたつの裁判をたたかう

 2016年5月、被災船員と遺族が、日本政府の責任を問い提訴。高裁は除斥期間を理由に棄却しましたが、被ばくの事実は認定。「最高裁で争うには、原告たちに残された時間はもうない」と山下さんはふり返ります。被災船員の救済を優先し、方針を切り替えました。
 2016年2月、マグロ船8隻の元漁船員7人と遺族4人で労災申請をしましたが、却下されました。2018年9月に不服申し立てし、厚労省社会保険審査会に再審査請求。2020年3月、行政処分取り消し請求訴訟と損失補償請求訴訟を併合して高知地裁に提訴しました。現在は東京と高知で裁判が進行しています。

被ばくの全容は今も不明

 室戸市在住で被害調査と訴訟支援をする濱田郁夫さんは「ビキニ事件の補償は、見舞金という位置づけ。見舞金のほとんどは、高知の被災船員にわたっていない」と語ります。当時、室戸には約160隻のマグロ漁船があり、濱田さんは残っている船員名簿から、約60人の聞き取り調査をしました。室戸岬船員同志会発行の『遠洋』(1962年)で、出漁船に対する放射性物質へ注意喚起する記述も発見しています。「アメリカは1962年まで核実験をしていたので、遭遇した船員はかなりの数になる」と濱田さん。

民医連は被ばく者とともに

 「被災船員は、子どもや孫の体調が悪化すると『俺のせいで』と、さいなまれてきた」と、山下さんは被災船員が抱く健康不安を語ります。いち早く支援に乗り出したのが高知民医連です。1986年、ビキニ被ばく者健康相談会が、土佐清水市で開かれ、医療チームとして、旭診療所の医師、森清一郎さん(当時)をはじめ、4人の職員が参加しました。
 濱田さんは「沿岸漁業に従事していた被災船員は、海上無線で健康相談に誘い合った」と逸話を披露しました。
 幡多ゼミ卒業生で高知医療生協の津野奈緒さん(事務)は「四万十地域の被災船員は、孤独を抱えている。この地域で被災船員がつながれる場所をつくっていきたい」とのべました。

被害者は世界中に

 「核兵器を廃絶するには、広島・長崎の被害を訴えるのと同時に、核実験の被災国と連帯する必要がある。核実験の被害者は、世界中にいると伝えていくことが、核兵器廃絶の、重い扉を開くことにつながる」と山下さんは力を込めて語りました。そして、「被災船員・遺族の救済のために、民医連職員と患者・利用者・地域住民で、学びの輪をひろげてほしい」と結びました。

(民医連新聞 第1825号 2025年3月17日号)

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