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民医連新聞

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連載 いまそこにあるケア ケアが尊重される社会に向けて 最終回 文:河西 優

 本連載では「子ども・若者ケアラー」を切り口に、当事者の経験と支援についてのべてきました。18歳を過ぎてもパートナーのケアや、親亡き後のきょうだいのケアを担うなど、生涯通じてケアと自己実現の狭間に立たされるケースもあります。日本では、おおむね30歳未満(場合によっては40歳未満)を対象に、短期的かつ事後的に負担を軽減する支援が行われていますが、長期間つづくケアと自己実現のジレンマを解決することは難しいのではないでしょうか。さらに言えば「ヤングケアラー」を子ども・若者期だけの問題ではなく、年齢に関わらず「ケアラー」が直面する長期的な問題として捉える必要があるのではないでしょうか。
 国が「ヤングケアラー支援」をすすめるもとで、「ケアラー支援条例」を制定する自治体も生まれています。私は市民団体「京都ケアラーネット」の一員として、京都市の条例制定にかかわってきました。同団体には、子ども・若者ケアラー、男性介護者、認知症の人とその家族、障害児者の親、言語のケアを必要とする外国人など、多様なケアにかかわる団体から関係者が参画しています。年代やケアの種別が異なっても、共通していることは、ケアへのフォーマル(公的)な支援が不足するなかで、家族を中心とするインフォーマル(公的ではない)ケアラーが目の前のケアニーズに対応することの限界、時には自己犠牲を伴う実情です。
 京都市の条例は、すべてのケアラーが「自己実現を図ることができる社会」をうたっていますが、そのためには「ケアが社会の存立の基礎的な条件として尊重されるべきものであること」が必要です。フェミニズムから生まれた政治思想であるケアの倫理では、人間は誰しもが依存的な存在であるという意味で、ケアは普遍的な営みなのに、「私的なこと」として女性(家庭)に不平等に配分されており、ケアに対する責任配分を社会で分け合う(分有)ことが民主主義につながるとされます。それなしには誰も生きられないにもかかわらず、「私的なこと」として不可視化され、誰かの自己犠牲を伴う形で担われてきたケアを社会に開示していくために、私たちの日常にあふれている「いまそこにあるケア」に気づき、ケアにかかわる人びとの声を聴く社会のあり方が求められるのではないでしょうか。


かさいゆう:立命館大学人間科学研究所補助研究員/子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト発起人

(民医連新聞 第1825号 2025年3月17日号)