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民医連新聞

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連載 いまそこにあるケア 第19回 ケアラーを支援するということ 文:斎藤真緒

 ヤングケアラー支援には、〈ヤング〉であることへの支援と〈ケアラー〉への支援の2つの側面があります。子ども固有のニーズだけが強調されると、ささえる大人、とりわけ親の養育責任の強化に問題が矮小(わいしょう)化される危険があります。ここではあらためて、もうひとつの側面、〈ケアラー〉への支援の意味について考えてみます。
 日本は従来、障害者総合支援法や介護保険制度など、支援を必要とする個人に対する支援制度を導入してきました。しかしヤングケアラーに社会的注目が集まり、明らかになってきたのは、支援を必要とする人に寄り添いささえる家族・ケアラーもまた、社会生活を送るうえで、さまざま不利を被る可能性が高いことです。
 自助を強調し、家族にケア責任を求める日本では、ケアが発生すると、家族はケアを優先して学業、仕事、余暇など、自分の生活を犠牲にするだけでなく、自分自身の人生に必要な人的、経済的、社会的資源(時間・アイデンティティー)の枯渇につながることもあります。こうしたケアラーが直面する社会的な脆弱(ぜいじゃく)性は、病気や障害による「一次的依存」と区別して、「二次的依存」と言われます。「一次的依存」は避けられませんが、ケアラーが直面する生活困難は、支援で軽減できます。ケアラーを支援対象として位置づける“ケアする人のケア”という新たな視点で、福祉制度を問い直す挑戦が求められています。
 ケアは、貧困や差別、いじめとは異なり、解消されるべき社会課題ではありません。むしろケアにかかわることには社会的な価値があります。しかし家族が過重にケアを担う仕組みのもとでは、ケアが負担としか感じられないこともあり得ます。〈ケアする―される〉という関係のなかでは、ケアラーが自分のニーズを封印せざるを得ず、個々人間の「バウンダリー(境界線)」が侵害されやすくなります。
 ケアラー支援は、ケアから離れる、代替サービスだけでは不十分です。ひとくくりにされがちな家族のなかの異なるニーズをていねいに解きほぐすこと、とりわけケアラーが自分の「バウンダリー」を意識化し、自分らしく生きるためのニーズ形成を促すことが重要ではないでしょうか。


さいとう・まお:立命館大学産業社会学部教授/子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト発起人

(民医連新聞 第1821号 2025年1月20日号)