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民医連新聞

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診察室から 患者とともに年を重ねた外科医

 高知市で生まれ育ち、大学を卒業してすぐに高知生協病院に就職し、今日に至ります。内科初期研修を2年間受けた後、しばらくは何とかそれなりの外科医になれるように無我夢中にがんばってきて、そしてふと気が付けば60歳の手前。子どもたち3人も無事就職し、ホッとしているところです。最近は、中学・高校の同級生と飲んでいると、すでに定年退職の話が普通に出てきます。自分の定年はまだ先ですが、これまで過ごしてきた医師人生より残された時間の方が短くなってきました。
 さて、外科医と言っても普通に外来はあって、以前より術後患者のフォローを内科疾患も含めてしていたので、高血圧やぜんそく、糖尿病のフォローもしています。ほとんどの患者が通院を始めて10年以上となってきており、その間、仕事の話や家庭の話などいろんな話をしてくれましたが、最近は来るたびに年齢を感じると話す人が増えてきました。1人の患者とのお付き合いが長くなると、その患者さんの相方や子どもさんが亡くなったこともありました。その時はみなさん、当然しばらくは元気なく、なかには外来でしばらく泣いてから帰る人もいました。その時はカルテを書くのをやめ、ペンも置いて患者さんの方を向きつつ、何も話さずしばし時が過ぎるのを待ったこともありました。例えカルテが山積みでもそんな時には十分に時間を取ってあげたいなと。患者さんの話を聞いていると、いろんな思いが伝わってきます。何もしてあげることはできませんが、僕が話を聞くことで少しでも気持ちが落ち着いてくれるのであれば、それも良いのかなと思います。
 外科医とはあまり関係のない話になりましたが、いずれはメスをおく日が来るでしょう。どこかで内科にシフトしなくてはならないと思いつつも、もう少し粘って外科医としてがんばってみたいと葛藤している毎日です。残された医師人生もそんなに長くない。けど、まだやれることはあると思い、日々を過ごしています。(川村貴範、高知生協病院)

(民医連新聞 第1818号 2024年11月18日号)

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