相談室日誌 連載571 身寄りない人の家族の死 非営利・協同の組織として(山口)
Aさんは60代後半の男性。一回り年上の妻とささえ合っての暮らしでした。二人には子どもや身寄りがなく、低年金で預金もありませんでした。ある日、妻に末期がんが見つかり、1カ月間の闘病の末、亡くなりました。Aさんは懸命に自宅で妻を介護しましたが、常にお金の心配がつきまといました。特に不安だったのが葬儀費用です。当メロスもいくつかの葬儀社にあたり、小規模で家族的な葬儀社が見つかりました。この葬儀社の経営者は、大手葬儀社勤務の経験から、経済的に苦しい人に温かく家庭的な葬儀を行うことの必要性を痛感して独立しました。低額かつ分割支払いで葬儀できたAさんは、とても安堵(あんど)した表情を浮かべました。
葬儀が終わったあとも死後手続きは続きます。年金受給停止・未支給年金請求、健康保険などの資格喪失届、公共料金引き落とし口座の変更、納骨など多くのことを処理しなければいけません。いっしょに手続きを終えると「これだけの手続きを一人ではできなかった」とポツリ。今後は「一人でいるのは寂しい」と施設での暮らしを希望しましたが、お金に余裕がなく身元保証人がいないAさんが入所できる施設は、すぐには見つかりません。
Aさんの暮らしをささえるには、いまの制度内での支援では限界があります。
その時どきの必要に応じた支援を、知恵をしぼって生み出していかなければなりません。マニュアルにあるものではなく、地域の善意を探し、役に立つものは何でも使って組み合わせていくということが、メロスに求められる力量なのだと感じました。
身寄りのない人の葬儀や、死後事務や、入所について、良心的な業者もいる一方、そこから利益を得ようというだけの業者も増えています。
そのような業者への規制を厳しく行政に求めていき、民医連としても政策要求にしてもらいたいと思います。同時に、問題が深刻であることから、身寄りのない人の葬儀、死後事務、後見人、低額入所施設の提供を、非営利・協同の組織、民医連が自らの課題として、ひろくとりくむ必要を痛感し、訴えたいと思います。
(民医連新聞 第1817号 2024年11月4日号)
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