連載 いまそこにあるケア 第15回 生徒が「話せる、休める、頼れる」場を 文:山村和恵
2021年の流行語大賞にノミネートされた「ヤングケアラー」という言葉は、最近、学校現場でもよく取り上げられるようになりました。これは教員や養護教諭が、「遅刻や早退といった生徒のシグナルの背後には、家族のケアがあるかもしれない」と考えるようになってきたからとも言えます。学校によっては、地域の居場所、子ども食堂、学習支援や、福祉機関などと連携して役割分担をしている場合もあり、それぞれの特長を生かしたとりくみも少しずつひろがってきています。一方で、支援の方向性については、「支援先につなげることがすべて」「まず本人にヤングケアラーであると認識させることが優先」など、さまざまな意見があります。同僚の養護教諭からは「ケアラーの生徒が一番難しい。どのように声をかけていいか迷う」という声も聞きます。
私は、2017年から京都市ユースサービス協会の事例検討会に参加し、現在はYCARP(子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト)にサポーターとして携わっています。そこで聞く多くの当事者の語りのなかから、学校に求めていたことのひとつとして「話したかった」という声があります。具体的な支援を求めるだけでなく、自身の今を気軽に話したいというものです。学校では多くのケアラーが家族を優先し、気丈に振る舞う姿や、強い責任感を持って過ごしている姿が見られ、話すこと自体が難しい状況にあります。保健室で出会うケアラーは、ほんの一部に過ぎません。
学校は、生徒の年齢を重ねる過程を見守る場であり、そのなかで日常的な変化を察知できる特別な役割を持っています。だからこそ生徒が「話せる、休める、頼れる」という、この3つの要素を提供できる場であるべきです。雑談を気軽に「話せる」環境、時には罪悪感なく「休める」場、どんな小さなことでも「頼れる」場です。部活を休むことや宿題の手助け、進路のことなど頼れる人が校内にいるか、そしてそれが気兼ねなく利用できる場があるかです。ケアラー支援の先進国であるイギリスでは、学校にケアラーについて理解している教員を一人でも配置することが重視され、支援プログラムなどを実施している学校もあります。
まだ手探りの状況が続いている部分もありますが、教員が「いっしょに考えたい」という姿勢を真摯(しんし)に持ち、生徒抜きにならない大人同士の協力関係を育んでいくことが大切ではないでしょうか。
やまむらかずえ:立命館守山中学校・高等学校養護教諭
(民医連新聞 第1817号 2024年11月4日号)