自分の目で見て考える 5年ぶりに奥能登FW 石川民医連
8月22~23日、石川民医連は、第24回奥能登フィールドワークを5年ぶりに開催し、17人が参加(うち医系学生2人)。被災地の現状、震災から今日までの輪島診療所を含めた輪島市内医療機関の対応状況、課題、過疎地域での医療・介護を学習しました。
奥能登フィールドは1997年1月のロシア船籍タンカー「ナホトカ号」重油流出事故で、重油回収作業に当たった輪島市大沢町の住民に対し、同県連がとりくんだ作業の健康への影響調査が出発点。住民との交流や健康チェックを通じ、24回目を迎えました。
初日は大沢町で戸別訪問を行いました。訪問前に大沢町の友の会会員の中嶋恵美子さんが震災当時の集落が孤立した状況で、住民たちが家にある食料を持ち寄ってささえ合ったこと、最低限の荷物のみで避難所にヘリで移送されたことなどを語りました。
大沢町は7月30日に停電・断水が解消しましたが、訪問当日は7世帯ほどしか自宅に戻っておらず、仮設住宅から自宅の片付けや農作業に通っている人もいました。家屋被害で住民が少なくなることが予想され、震災前のコミュニケーションやささえ合いがなくなるなど、今後の生活について不安の声も聞かれました。
訪問後は、友の会奥能登ブロックの佐渡麗子さんがこの間のとりくみや避難所での状況などを報告。また輪島市内で震災当初から奮闘してきた「ごちゃまるクリニック」院長の小浦友行さんが「能登半島地震体験記~発災直後から現在に至るまで~」を講演。自院職員も被災しながら、地域の医療を守るため奮闘してきたこと、少子高齢化の加速で、仮設住宅でのケアや町ごと移動したコミュニティーの課題などを報告しました。小浦さんは学生時代に輪島診療所で実習し、「自分の地域活動の原点は輪島診療所」と語りました。
過疎地での医療・介護を考える機会になった2日間で、自分の目で見て考える機会として、支援活動を継続していこうと締めくくりました。(能登半島地震 石川民医連災害対策ニュースより)
(民医連新聞 第1815号 2024年10月7日号)