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民医連新聞

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相談室日誌 連載568 人生の記憶に残る支援 疎遠でも孤立しない生活(東京)

 療養支援するなかで、家族・親族や友人、地域や在宅サービスチーム、医療機関などの支援者との連携を実感します。
 80代のAさんは肝細胞がんで緩和ケア病棟に入院することになりました。きっかけは法人内の診療所からの紹介でした。入院相談時は兄弟とは事情があって疎遠だったため、本人の意思を尊重し、面談を経て入院となりました。症状コントロールができてきたので退院支援が始まりました。退院方針が在宅か施設か、なかなか決まらず、Aさん自身も「どうしたらよいのか」と悩み、時には心身のつらさから病棟スタッフに感情をぶつけることもありました。
 入院中に誕生日を迎え、病棟で記念撮影を行いました。闘病中でしたが、とても素敵な表情の写真に仕上がり、「これを遺影にしたいな」と看護師に話していました。退院方針が定まらないなか、一度だけ病棟スタッフが付き添い、自宅まで外出しました。階段昇降もあり、Aさんは体力的にキツイと感じましたが、この外出をきっかけに在宅退院の気持ちが強くなりました。12月になり、Aさんから「最期の年越しになるかもしれない。お酒を飲みたい」という思いが明確になり、在宅チームの支援で、慣れ親しんだアパートに退院しました。2週間ほど在宅で生活し、お酒も口にして年を越しました。年明け早々に緊急入院となり、スタッフの見守るなか、緩和ケア病棟で最期を迎えました。疎遠だった兄弟は最期の立ち会いには間に合いませんでした。看取りの連絡を入れた際、「会いに行きたかったけど高齢で行けなかった」と。本人が「誕生日の写真を遺影にしてほしい」と話していたことを兄弟に伝えると、「ぜひ譲ってほしい」と申し出があり、病棟スタッフも快く承諾しました。
 親族が疎遠になる理由はさまざまですが、遠方に住んでいることや高齢であることが理由になることも多いと感じます。今回、Aさんの写真と病院スタッフからの言葉という形で、自分らしく最期まで生活したという人生の証しを、疎遠だった兄弟に伝えることができました。さまざまな人生や生き方を孤独にせず、誰か(支援者である自分自身を含めて)の記憶に残していけるような支援をしていきたいと思います。

(民医連新聞 第1813号 2024年9月16日号)