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民医連新聞

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戦争も核もない平和な未来を 原水爆禁止2024年世界大会 広島で民医連参加者交流集会

 「被爆者とともに、核兵器のない平和で公正な世界を―人類と未来のために」と呼びかけた原水爆禁止2024年世界大会。1235人の民医連職員が参加しました。8月5日、民医連参加者交流集会を5年ぶりに広島で開催し、23県連、350人が参加。各地の核廃絶の運動や平和へのとりくみを交流しました。(長野典右記者)

 増田剛会長が「なぜ8月に広島に世界中から多くの人が集まってくるのか想像力を働かせて考えてほしい」とあいさつしました。

原爆孤児として生きて

 元広島民医連職員の山田寿美子さんが、「原爆孤児として生きて」をテーマに講演。山田さんは2歳の時、爆心地から約2kmの母方の実家に疎開し、姉と住んでいました。爆風で飛ばされ、割れたガラスが体じゅうに突き刺さり、頭には屋根瓦が当たりました。母親は全身をやけどして亡くなり、県庁付近で作業をしていた父親は遺骨さえみつかりませんでした。山田さんは孤児になり、親戚の家を転々とした生活に。小学校時代、給食費が払えず、自分の居場所もなく、登校拒否になりました。原爆孤児として生きてきたことでつらい思いをしました。
 被爆者医療を大きな柱にしていた広島・福島生協病院に就職し、SWとして被爆者に寄り添ってきました。相談活動では、被爆者の理不尽な思い、扱いがわかりました。医療特別手当の書き換え申請に病院に行けば「泥棒」と言われ、生活保護利用に至った相談事例を紹介。「被爆は自分の責任ではないのに、苦労は今日もなお続いていることを知ってほしい」と語りました。
 韓国からは18人が参加し、健康社会のための薬剤師会のチョン・ギョンリムさんがあいさつ。「核の平和的利用、原発の推進には平和が存在せず、災難、危険、暴力だけがある。原発は直ちに止めるべき。反核連帯を続け、日常の力になるように奮闘する」とメッセージを送りました。

被爆者によりそう

 「黒い雨」を考える岡山の会について、岡山民医連事務局の大坂圭子さん(事務)が報告。「黒い雨」裁判は広島高裁で勝訴が確定し、新しい被爆者認定制度が開始。岡山では今年3月末までに23人が申請し、3人が審査中、20人に被爆者健康手帳が交付されました。対象者や制度を知らせるため、被害者の掘り起こしと被爆者健康手帳申請の支援を開始。6月1日に「黒い雨」電話相談会を行い、3人の相談があり、第2回目の相談会に向け準備中です。
 「呉(くれ)を戦前の軍都に戻すな」と広島事業協の平井充晴さん(事務)が報告。防衛省は、昨年9月に閉鎖した日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区の跡地をすべて買い取って「多機能な複合防衛拠点」として整備する意向を広島県と呉市に伝えました。平井さんは、「米軍と自衛隊の一体化が加速するもので、戦後に制定した旧軍港市転換法にある平和産業港湾都市に反するものです。子どもたちに戦争も核もない平和な世界を手渡すために、跡地の平和利用を求めていく」と語りました。

地球環境を守ることにつながる

 「ピースフェスティバルのとりくみ」について、神奈川・生協歯科クリニックの金津健太郎さん(事務)が報告しました。神奈川民医連は、1996年から「平和のつどいピースフェスティバル」を行っています。26回目の今年は7月13日に開催し、250人が参加。プロダイバーで環境活動家の武本匡弘さんが講演。軍事行動は温室効果ガスの排出量の5・5%にあたり、平和を守ることが環境を守ることになることを強調。また平和学校の卒業発表では、戦争の被害者と加害者の両方の立場を学んだことを報告しました。
 石川民医連の参加者5人が能登半島地震の復興状況、志賀原発の危険性、被爆証言の継承などを語りました。
 入職2年目の東京・みさと健和病院の近澤慧桃(けいと)さん(SW)は「自然災害はなくせないが、戦争はなくすことができる。広島で学んだことを職場に持ち帰りたい」と感想を語りました。

(民医連新聞 第1813号 2024年9月2日号)