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民医連新聞

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北海道・矢臼別 「平和のうちに生きる」たたかいと日本最大の自衛隊演習場の今

 8月10日、道東勤医協も深くかかわる第59回矢臼別平和盆おどり大会が、北海道別海町の「旧川瀬牧場」で行われました。昨年、コロナ禍から4年ぶりに現地復活。今年は会場参加者約300人、WEB配信視聴者160人超。9日の前夜祭と11日のさよなら集会、7日から連日約20人が携わった設営隊を合わせると、全国から約600人がつどいました。1991年に第20回民医連全国青年ジャンボリー(JB)を開催した矢臼別の地から、平和の問題を考えます。(丸山いぶき記者)

 「沖縄のたたかいに呼応し、北からの安保闘争を巻き起こそう」「パレスチナ・ガザや、ウクライナでの惨劇を断じて許さない」「米軍は矢臼別に来るな」「憲法を守り、一人ひとりの平穏な暮らしを守ろう」―。語り、歌い、踊り、励まし合う、矢臼別平和盆おどりの参加者たち。主催団体には、別海町農民組合や矢臼別平和委員会、釧路・根室地域の教職員組合や労働組合などと並び、道東勤医協労働組合も名を連ねます。
 道東勤医協は創立した1976年(第10回大会)から、医療班を派遣。今年も釧路や根室の職員20人余りのほか、元職員や友の会会員、創立時を知る関係者などが多数参加しました。
 恒例の花火を打ち上げたのは、黒川聰則(としのり)さん(釧路協立病院・医師、北海道民医連会長)。父は陸上自衛隊幹部で、対立したこともありましたが、「国民を守りたいという根っこには共通するものもある。多様な意見から一致点をさぐる対話が、もっと必要」と強調します。同大会に毎年参加するなかで花火を打ち上げる資格も取得。「今年も1発目は川瀬氾二さん(故人)を思い打ち上げた」と言います。

演習場のど真ん中で暮らし生ききった川瀬氾二さん


矢臼別演習場は、南北10km・東西28km、面積1万6813ヘクタール=東京・山手線内側の約2・7倍のひろさ

 「旧川瀬牧場」は、別海町と厚岸(あっけし)町、浜中町にまたがる日本最大の陸上自衛隊矢臼別演習場のど真ん中にあります(地図)。「北の反戦地主」と呼ばれた、川瀬氾二さんが守り抜いた民有地です。
 岐阜県生まれの川瀬さんは1952年、26歳で別海町三股(みまっか)に入植。戦後の食糧難を解決しようと国が始めたパイロットファーム(試験農場)政策に応え、「不毛の地」と言われた根釧原野で、1本1本手作業で大木を切り倒し、伐根、血のにじむ思いで入植地を開拓し、妻・普実子さんと暮らし始めました。しかし10年後、国は矢臼別の開発計画を撤回し、演習場設置を決定。用地買収工作で、同様に苦労して拓かれた84戸を立ち退かせ、残ったのは川瀬さんら2戸のみになりした。
 ここから、演習場のど真ん中で農地を守る農民と労働者・学生が団結した矢臼別平和運動のたたかいが始まりました。65年、団結の印に建てた平和碑完成を祝い第1回平和盆おどりを開催。76年、仲間が離農に追い込まれるも、行政の妨害に抗し、20年かけ仲間の意志通り土地を取得。87年、自衛隊が川瀬さんの土地を鉄線で囲い込み、25年も黙認してきた演習場内での馬の放牧を違法だと主張した時も、川瀬さんは「憲法違反の自衛隊に違法呼ばわりされるいわれはない」と対峙(たいじ)し、矢臼別に住み続けました。

「住み」「通う」たたかい 戦争と平和が接する矢臼別

 自衛隊や行政の態度硬化の背景には、いつも米国の世界戦略に呼応する日本政府の姿勢がありました。矢臼別でも84年から日米共同訓練を開始。一方、川瀬さんは91年、湾岸戦争への自衛隊派遣の検討に抗議して、D型ハウスの屋根に「自衛隊は憲法違反」と大書。97年からの在沖縄米海兵隊移転訓練で演習場や町が様変わりするなか、99年にはもう一つのD型ハウスに憲法前文と9条、12条「国民の不断の努力」を書きました。
 数々のエピソードから想像させる人物像とは裏腹に、「小柄で、口下手で、人の影にいるような人だった」と、川瀬さんを知る人は口をそろえます。その一人、矢臼別平和委員会の元事務局長、吉野宣和さん(91)は、「川瀬さんから歴代、米軍が来るたび欠かさず監視して、絶えずこの演習場のど真ん中に人が住んでいることが、どれほど大きな力になっているか。住んでいれば郵便も宅配も届く。私たちは通うことがたたかい。戦争と平和が共存しているここへ足を運んで、大砲の音を聞き、見てほしい」と語ります。
 2009年、川瀬さんは亡くなりました。看取ったのは釧路協立病院でした。川瀬さん亡き後も、旧川瀬牧場には人が住み続けています。今年5月末に新たな住人となった寺川真幸さん(55)は、元小学校教諭。25年来、矢臼別に通い、日米共同訓練の監視・抗議行動などを続けてきた一人です。「知ってほしい」と、近年の監視行動で激写した、住宅地のすぐそばでますます危険性を増す軍事演習の証拠を示します。

矢臼別と道東勤医協の切っても切れない関係

 道東勤医協は、「医療過疎地、道東にも勤医協を」という地域の要求からつくられました。北海道勤医協の無料健診車(わかば号)に夜間、搾乳を終えてから列をなす酪農夫たち。道東勤医協友の会副会長の飯田尚志さんは、「ドロドロの開拓道路を入って行って、設立協力資金を集めた」とふり返ります。中村忠士さん(別海町議、矢臼別平和委員会事務局長)は、「2021年にも新入職員が地域研修で監視行動を見学し、新鮮な感想をのべてくれた。そういう地域の根っこを知る研修を続けてほしい」と。元職員の山本隆幸さん(釧労連事務局長)は、「道東勤医協は矢臼別を、民医連職員として成長する場と位置づけてきた」と話します。
 地域研修に参加した柏原大輝さん(5年目事務)、鍋田聖華さん(4年目事務)、岡田結さん(5年目事務)は、平和への思いを語ります。「標茶(しべちゃ)町で子どもの頃から、教室の窓を震わす訓練の轟音を聞いて育ったが、川瀬さんのことは知らず、驚いた。そうした場に自ら参加していくことが大事(柏原)」「予算は軍拡ではなく他へ。今年原水禁世界大会に参加した。戦争しないために聞いたことを発信したい(鍋田)」「食料支援で困っている人の声を聞けたのも民医連だから。もっともっと地域に目を向けたい(岡田)」

平和的生存権の実現 一つひとつの運動から

 岡田さんらは現在JBメンバーとして、道東勤医協労組が発祥の「反核平和自転車リレー」の運営でも奮闘しています。野原秀樹さん(老健ケアコートひまわり・事務)は、「学生運動が縮少し、平和を真剣に語ることが減った時代に生きた私たちも、民医連綱領に触れて原水禁世界大会や沖縄平和ツアー、そして矢臼別で反戦や平和の思想に目覚め、先輩にささえられ自転車リレーを始めた。今、この精神を次世代に伝えていく踏ん張りどころ」と語ります。
 矢臼別では平和のたたかいだけでなく、マイペース酪農や地産地消のとりくみ、障害者福祉など、懐の深い地域実践が続けられています。「その懐の深さに育ててもらった」と話す辻本康之さん(釧路協立病院・事務)は、親子3世代にわたり矢臼別平和盆おどりの設営隊に毎年参加しています。
 8月10日、矢臼別平和盆おどり大会に先立ち、旧川瀬牧場内にある矢臼別平和資料館で講演した清末愛砂さん(室蘭工業大学大学院教授、憲法学)は、次のように語りました。「矢臼別闘争は、平和的生存権(憲法前文)の実現を包括的に求める運動。平和とは何かを具体的に描くことができる運動。すべての人の自由を求め、排他性を否定する運動。個人の尊厳にもとづく小さな幸せの価値を認め実践する運動」
 矢臼別平和盆おどり大会は来年、60回の節目を迎えます。道東勤医協労組の三坂敬一さんは「被爆、終戦から80年とあわせ、矢臼別にもつどってほしい」と訴えます。

暮らしを脅かす戦争準備の現場から

 7月20日、陸上自衛隊と米陸軍の共同訓練「オリエントシールド2024」が行われていた矢臼別を訪ねました。旧川瀬牧場に到着早々「ドォーン」と空気を震わす砲撃音。監視行動では、発射音と着弾音の間隔をストップウオッチで測り、ノートに記録していました。
 この日使われたのは、長射程の155ミリりゅう弾砲125発。吉野和彦さん(道東勤医協前専務理事、宣和さんの長男)の案内で向かった別の監視地点からは、広大な演習場を見渡せました。「風向きによっては60km離れた釧路で着弾音が聞こえることもある。この規模感は写真や映像で伝わらない。だからこそ、通ってほしい」と吉野和彦さんは言います。
 年間300日以上行われる訓練のすべてを監視することはできません。しかし、こうした監視行動から、事前予告と実際の演習内容との齟齬(そご)をあぶりだし、「秘密」を許さないたたかいが続けられています。「沖縄の負担軽減」をうたう在沖縄米海兵隊の移転訓練も、実態は訓練の補充強化。「同質同量」の条件は初回から破り、米軍幹部は「沖縄でできない訓練ができる」と大喜び。約束違反の高機動ロケット砲システムHIMARS(ハイマース)の持ち込みも、監視行動から暴きました。計根別飛行場に飛来するハイマースを乗せたC130輸送機は、住宅地のすぐ上を低空飛行。移転費用や環境整備費用は、すべて国民の税金で賄われています。
 自衛隊は公道で戦車などの戦闘車両を自走させ、長距離移動する夜間訓練も実施しています。米軍と自衛隊の一体化、戦争する自衛隊化を間近で監視する矢臼別の人びとは、危機感を強めています。

(民医連新聞 第1813号 2024年9月2日号)