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民医連新聞

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連載 いまそこにあるケア 第11回 スティグマによる人間関係の構築の難しさ 文:河西 優

 ケアラーにとって、家族以外から認められる、心地よい人間関係を築くことは容易ではありません。社会には、病気や障害、家族をめぐる偏見や無理解が存在します。ケアラーにとっては、幼いころから病気や障害が身近であったり、家族のケアをすることが「当たり前」であっても、社会的に病気や障害は「避けるべき特別なもの」とされたり、ケアをすることが「壮絶でかわいそうな経験」と決めつけられることがあります。こうした社会的な偏見や無理解(スティグマ)は、学校など、日常生活の場やメディアを通してケアラーに伝わり、恥ずかしさや孤独感を植えつけ、ケアラーの人間関係の構築に長期間の影響をおよぼします。
 他者との関係構築には、自分のことを相手に伝えるプロセスが必要ですが、ケアラーは偏見や無理解によって傷つけられる可能性があり、誰にどこまで自分をさらけだすのかという「カミングアウト」の問題が生じます。特に友人やパートナーなど身近で深い関係を築きたい人に対して、「ケアを担ってきたことも含めて自分を理解してほしい、否定や腫れ物にさわるような扱いをしてほしくない、けれどわかった気になってほしくもない」という葛藤が生じ、苦しむことがあります。
 自分を守りながら、相手とどのように関係を築けるのかということで、私が出会ったケアラーは試行錯誤していました。たとえば、日頃の会話のなかで垣間見える家族に関する価値観をもとに、安心できる相手に話を小出しにしたり、「重く」受け止められないように会話の流れに軽く話を入れ込んだり。私自身は統合失調症の母をケアしてきましたが、「この人は私の育った家庭環境を想像できないだろうな」と壁を感じ、自分を深くさらけだせずに距離をおいた人もいれば、家族のことを話しても関係を続けられている人もいます。後者の人たちは、私の話に否定も同情もしないことから、ケア経験を特別なものではなく、あくまで私の育ってきた背景のひとつと捉えているのかもしれません。ただ、会うたびに母のことを気にかけてくれる一言に救われています。
 ヤングケアラー支援で、「家族以外の人に頼ってもいいんだよ」というメッセージが発信されるようになりましたが、当事者がなぜ人間関係の構築に慎重になるのかを考え、社会にはびこる偏見や無理解を問い直す必要があるのではないでしょうか。


かさいゆう:立命館大学人間科学研究所補助研究員/子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト発起人

(民医連新聞 第1813号 2024年9月2日号)

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