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民医連新聞

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連載 いまそこにあるケア 第9回 離家という選択と葛藤 文:亀山裕樹

 私は小学校高学年から高校卒業まで、うつ病や不安障害のあるひとり親の母といっしょに暮らしました。今回は離家(りか)(親元を離れて別世帯で暮らすこと)という選択と葛藤について書きます。
 当時高校生だった私は、このまま母と暮らすか、それとも一人暮らしをするかで迷っていました。その頃、母はうつ病の具合が悪くなると「死にたい」とつぶやいていましたが、ある日、母の感情面のケアをしつつ話を聞くなかで、「うつ病の具合がひどい時には心中することも考えた」という話を聞きました。その時に、私は受け止めたつもりになりましたが、少したつとプツンと糸が切れて、いつか心中に巻き込まれるのではないかという恐怖が頭をよぎりました。さらに、連載の第5回で「心の病気がひどくなる」と言われて劣悪な環境に引っ越した経験を書きましたが、今後も同じように母に振り回されるかもしれません。このまま母のそばにいたら、私の今後の人生はきっと母の精神疾患に縛られて、最終的に母を恨むことになるだろうと感じました。それで、私自身の人生を生きるにはどうしたら良いのかを考え、大学進学をきっかけに離家することにしました。
 離家した後、母は民生委員や市の障害福祉担当者など、地域の支援者の人たちとつながりました。母に何かあった時に信頼して相談できる人を見つけられて、私も安心しました。数年間、母とお互いに尊重し合える距離感でいられました。一方で、離家した後もかたちを変えてケアは続きます。たびたび電話で話を聞いたり、借金トラブルに巻き込まれた母をささえたりすることがありました。詳細は省きますが、そのなかで私もひどく疲弊(ひへい)してしまいました。今では、母を心配する気持ちだけがあり、母のために使える時間もお金も残っていません。
 離家の経験を私なりにふり返ると、まずケアを必要とする人やその周りの人をささえる、家族まるごと支援の環境を整えてくれる人がいたらよかったです。子どもが離家して残される家族への支援も欲しいです。次に、住まいやお金のことなど、離家した後の子どもの生活について、いろいろと相談できる人がいてくれたら心強いです。そうしてはじめて、安心して離家するという選択肢が、子どもに開かれると感じます。


かめやまゆうき:北海道大学大学院教育学院博士後期課程/子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト発起人

(民医連新聞 第1811号 2024年8月5日号)