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民医連新聞

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最高裁 強制不妊に違憲判決 障害者差別と優生思想根絶へ

 最高裁判所大法廷は7月3日、優生保護法下で強制された不妊手術をめぐり、国に損害賠償を求めてたたかわれた、大阪、東京、北海道、兵庫、宮城の裁判で、国の責任を明確に認めました。同法を憲法13条、14条1項違反と厳しく断じ、最大の争点「除斥期間」の適用に関し、従来の最高裁判例の変更にまで踏み込み、原告を救済。すべての優生保護法被害者の全面救済、障害者差別と優生思想の根絶に向かう、大きな一歩となりました。(丸山いぶき記者)

 「おめでとう!」
 「やった! やった!」
 判決後、満面の笑みで人垣をぬって報告の場にすすむ原告、弁護団に、最高裁正門前に多数駆けつけた支援者から喜びの声がかけられました。そして梅雨晴れのもと「勝訴」「今までありがとう」の旗が、大きく掲げられました。

声をあげて社会変えた

 7月3日午後3時の開廷を前に、140余りの傍聴席を求めて約1000人が行列。東京の原告・北三郎さん(仮名)は、列をなす人からの「北さん、がんばって」の声に、ガッツポーズで応え大法廷に向かいました。
 法廷で判決が読み上げられた瞬間は、思わず傍聴席から拍手が沸き起こったといいます。それを裁判所に制止されると、今度は手話で拍手(手を頭上でヒラヒラ)。聴覚や視覚に障害がある人への情報保障を求め、不十分ながら前進したのも同裁判のたたかいの特徴でした。
 そんな様子の紹介から始まった報告集会では、原告と弁護団が、完全勝訴への喜びと今後への思いを語りました。全国弁護団共同代表の新里宏二さんは判決を高く評価し、「被害者は声をあげ、社会を変えられることを実証した」と強調しました。

すべての被害者救援へ

 優生保護法(1948~96年)は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に、戦後の日本国憲法のもと、すべての政党の賛成で成立しました。同法で不妊手術を強制された人は、統計上わかっているだけでも2万5000人にのぼります。
 しかし、被害救済を求めて提訴できたのは、今回の原告11人を含め39人のみ。みな高齢で、6人はすでに亡くなっています。
 裁判中に亡くなった妻を思い、「国が争い、たたかいが引き延ばされたことで、私たちの苦しみは長くなった」と語ったのは、兵庫の原告・小林寶二(たかじ)さん。北海道の原告・小島喜久夫さんはあらためて、「国は謝罪してほしい」と訴えました。1997年に支援者とつながり、初めて優生手術被害者だと名乗り出た宮城の原告・飯塚淳子さん(活動名)は、「岸田首相には会って話を聞いてほしい」と。社会に対して「障害は不良ではない」と訴え、障害者差別の根絶を願いました。
 弁護団は今回の判決で国が加害者だと認められ、「本人も家族も周囲も悪くない」と伝えることで、被害者が声をあげられることを強調。7月16日に日本弁護士連合会が実施するいっせい電話相談(QRコード参照)の周知を呼びかけました。

* * *

 集会の最後に優生連共同代表の藤井克徳さんは、今回の裁判が「たたかいを経て成長、進化してきた」と強調。政府の明確な謝罪や、一時金支給法の延長ではない救済立法の制定など、全面解決に向けた奮闘を確認し、「みんなに拍手を」と呼びかけました。
 優生連が「正義・公正な判決」を求め最高裁に提出した署名は、33万3602筆(うち民医連4万3792筆)。報告集会には、会場で500人超参加、WEBアクセスは800にのぼりました。


差別のない社会をめざし実践を
全日本民医連
人権と倫理センター センター長 加賀美理帆さん

 2018年1月、宮城の原告が国賠請求を提訴してからの、年月の長さと重さを感じました。優生連共同代表の藤井克徳さんの発言にあったように、これからは「全面解決への始発駅」です。
 旧優生保護法の問題は、民医連にとって、自分たちの倫理観や人権意識を問いただすものでした。あらためて職員のみなさんには「旧優生保護法下における強制不妊手術問題に対する見解」(ホームページに掲載)を学びなおし、すべての差別がない社会をめざして、日々の実践をすすめていくことを呼びかけます。

(民医連新聞 第1810号 2024年7月15日号)