相談室日誌 連載562 能登半島地震から5カ月 被災者の困難に寄り添う支援(石川)
2024年1月1日、石川県能登半島を中心に最大震度7の大地震が襲い、甚大な被害をもたらしました。特に被害が大きかった地域は、奥能登と呼ばれる地域で、過疎化と高齢化が深刻な地域です。
90代半ばのAさんは、輪島市で長男夫婦と生活していましたが、地震で家屋は倒壊。長男夫婦や近所の人たちとビニールハウスで数日間過ごした後、寸断された道路を6時間かけて移動し、南加賀地域の次男夫婦宅に身を寄せることになりました。
発災から10日後、Aさんと対面した際、「この歳まで生きてきて、まさかこんな目にあうとは」と憔悴(しょうすい)しきった様子でした。次男夫婦に迷惑はかけられないと、デイサービスやショートステイを利用しながら生活を維持することにしました。
これまでの生活が一変したAさんは、「能登の家に戻りたい。無理ならせめて能登の施設に入りたい」と話しますが、要介護1のAさんが入所できる能登地方の施設はどこも再開できていません。輪島に帰ることをあきらめた長男夫婦や次男夫婦は、「能登の施設では行き来するには都合悪い。できればこの辺の施設に入ってほしい」と言います。みなし仮設の「アパート」を借りて生活をはじめた長男夫婦ですが、手狭なアパートにAさんを連れていくことはできず、次男夫婦との生活を継続するしかありません。同居を始めた次男夫婦にも疲れが見え始め、この先どこで生活することがAさんや家族にとって最善なのか、先が見えない日々が続いています。
「こんなことなら地震の時に死ねばよかった」とたびたび口にするAさん。太平洋戦争を生き抜き、南方からの引き揚げ船の沈没に遭いながらも何とか生き延びて日本に戻ってきたAさんが、人生の終盤で突然住んでいた家と土地を奪われ、自然災害の理不尽さに返す言葉もありません。
今回の地震で、Aさんのように能登に戻りたくても戻れない人が数多くいて、いまだ約3300人が避難生活を余儀なくされています。支援者としてできることは何か模索する日々ですが、一日でも早く生活基盤が整うよう、国や自治体に働きかけながら、本人や家族といっしょに悩み寄り添う支援を継続していきたいと思います。
(民医連新聞 第1808号 2024年6月17日号)