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民医連新聞

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能登半島地震 被災地のいま ~現地・職員の声から~

 1月1日に発生した石川県能登地方を震源とする地震から、5カ月が経過。倒壊した建物の解体すら終わらないなか、現地の報道も極端に減り、公的な支援も徐々に減ってきています。医療・介護の現場でのこれまでのとりくみ、今後に向けた思いを現地の仲間の声から伝えます。(稲原真一記者)

それぞれの思い

 「いまだに一人ひとりの職員がどんな体験をしたのか、すべてを聞くことはできていない」と話すのは、石川・輪島診療所事務長の上濱幸子さんです。幸い同診療所の職員やその家族に、地震による大きな人的被害はありませんでした。一方で家屋の被害は大きく、診療所に寝泊まりしていた職員もいましたが、現在は仮設住宅などに入居しています。
 上濱さんは「5カ月過ぎたが、いまだに初めて知る地域での被害もあり、そのたびに苦しい思いになる」と言います。職員にも一人ひとりの被災体験があり、特に自宅が全焼した職員の思いに触れた時には「何一つ残っていない人の気持ちは、なった人にしかわからない。それぞれの思いを大切にしなくてはと強く感じました」。
 輪島診療所は1月3日には電気が復旧し、4日に医療活動を再開。しかし、併設する介護事業所のさくらの里は断水の影響ですぐには再開できず、「輪島に残りたいという職員がほとんどのなか、水の復旧を待ち望んだ」とふり返ります。2月下旬に水が来ると連絡があり、「それまで受動的だった職員が自分たちから何ができるのかと考え動けるようになった」と上濱さん。積極的なとりくみで、徐々に事業を再開していきました。

離れた地域での奮闘

 輪島診療所から100km以上離れた石川県金沢市内で奮闘する職員もいます。特養やすらぎホーム事務長の谷口久美さんは「地域包括支援センターには1~2月だけで、2次避難者などから約80件の相談があった」と言います。
 100床のやすらぎホームには、県から「110%のオーバーベッドで受け入れを」と要請があり、ショートステイを開放して対応。DMATからは、名前と生年月日しかわからない人の受け入れ要請があり「これまでにない対応が求められたが、職員は不満ひとつ言わずに何とか力になりたいと奮闘した」とふり返ります。
 同じく金沢市内にあるサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)のほやね城北では、家具が倒れたりガラスが割れるなどの被害が出ましたが、石川・城北病院の職員の協力で復旧。施設長の中林直子さんは「避難者の受け入れはすぐに決定した」と言います。
 1月4日には車中泊をしていた職員の両親を受け入れましたが、環境の変化で母親の認知症の症状が悪化。ケアの負担で父親も体調を崩し城北病院を受診しました。「すぐ相談できる城北病院があってよかったと民医連の強みを感じた」。その後も職員や友の会会員の家族などを受け入れましたが、同様に体調を崩す人が多く「みなさん地元に帰りたいと言われ、もどかしかった」と中林さん。
 二人が口をそろえて憤るのは、県の要請に「いのちと生活を守るため」と応じたにもかかわらず、県からはその後の対応について何の連絡もなかったことです。谷口さんは「非常対応ひとつの報酬請求をするのにも膨大な事務作業が発生し、後から後から変更。制度に振り回された」と言います。

一人ひとりと向き合い

 羽咋市は輪島と金沢の中間にあり、少なくない被害が出ていますが、「地域でも被害の差が大きく一律に対応できない難しさがある」と話すのは、羽咋診療所事務長の三宅央美さん。医師や看護師が、診療中にできる限り患者の状況を確認していますが、なかには数カ月後になって初めて被災状況を語る人もいます。自身も自宅が半壊したという三宅さんは「職員同士でも被害は言いづらく感じる時があるが、同じ被災者として、患者の気持ちをくみながら対応してくれている」と言います。
 また金沢市内にある城北診療所(6月より城北病院外来部門に統合)には、これまで把握しているだけでも341人(6月4日現在)の避難者が受診しています。ほとんどは新患のため、保険証の住所や問診の内容から判断し、独自に作成した「被災者用受診申込書」を記入してもらっています。
 現在は被災状況に応じて医療費を減免する制度がありますが、「金沢市内などでも思いがけない地域で被災した人もいて、対象者を見落としてしまうことがあった」と事務長(当時)の市村真紀子さん。前述の申込書に加え、「困りごとは医療だけではない」とアンケートを実施。さまざまな問い合わせ先が一目でわかる「被災者支援カード」なども支援に活用しています。一方で「思い出すだけで涙が出るから、被災者扱いしてほしくない」と訴える人もいて、一人ひとりに寄り添う難しさも感じています。

復興には程遠い

 全日本民医連は5月31日、前衆議院議員(北陸信越ブロック)の藤野保史さん(共産)を招き、被災地の現状を知る学習企画を開催しました。藤野さんは、約8000件の家屋の危険度判定に異議申し立てがあること、5カ月たっても105カ所の避難所に1800人が身を寄せ、環境や食事もほぼ変わらないこと、公費解体は1万4233件の申請のうち282件しか完了していないことなどを、現地の状況(5月21日現在)と合わせて報告。
 入居の始まった応急仮設住宅はとても狭く、入居すれば炊き出しもなくなり、被災者自身が電気や水道の契約、家電の設置などもする必要が。馳(はせ)浩石川県知事は「仮設に入ったら自立しなければならない」と言い放つなど、被災者に自己責任を押しつけています。
 石川民医連事務局長の寺山公平さんは「各自治体の職員は人手不足のなか、自身も被災しながらがんばっている。対応の不十分さの根本は国や県の姿勢にある」と指摘します。「台湾の地震では発災直後に次々とテントが立ち、公費で迅速な対応をしていたのを見て、石川との違いにがくぜんとした。日本政府や県は必要なところに予算も人もつけず、憲法の求めるいのちや生活が第一という政治になっていない。コロナ禍とまったく同じ構図」と憤ります。

これからの課題

 6月3日、能登半島沖で5カ月ぶりの最大震度5を超える余震がありました。公費解体がすすまないなか、輪島では放置された家屋が倒壊。「いまだに子どもの通学路にも危険な場所は山ほどある」と上濱さん。家屋調査を受けた人も状況が変わる可能性があり、注意が必要と言います。
 輪島では仮設住宅への入居は集落ごとを基本に、集団で行われています。上濱さんは「これから必要なのは生活をどうささえるか」と訴えます。狭い仮設住宅では運動量も減り、多くの人が日常的にしていた畑仕事もできず、買い物に行くための足もないのが現状です。友の会の班会の再開や、移動販売の実施、共同で作業できる畑などの場の提供など、行政とも相談しながらすすめています。
 羽咋では仮設住宅ができたものの人里離れた劣悪な環境で、バラバラの地域から入居しているため、「定期的な訪問を続けながら、孤立する人が出ないようにしたい」と三宅さん。友の会の集まりなども検討していますが、問題になるのはやはり交通手段の確保だと言います。住民でつくる「頑張ろう! 羽咋地震対策連絡会」で自治体との交渉も続けています。
 金沢では「避難生活が長期化し、今後は慢性疾患の管理が重要になる」と市村さん。避難者の投薬日数を保健師がリスト化し、残薬がなくなる前に連絡するとりくみを始めています。収入が不安定な人も多く、医療費の助成は医療にかかる上で重要ですが、現在は9月末で終了予定。市村さんは「まだまだ必要な制度。延長を求めて運動が必要」と力を込めます。

いっしょに考えて

 全日本民医連は発災直後から、さまざまな形で被災地と連帯をしてきました。寺山さんは「医療や介護の手を止めず、発災すぐに支援に動けたのは民医連綱領を持っている全国組織だったから」と全国の力を感じています。
 上濱さんも「全国から寄せられた檄布を見て、ある職員が泣いていた。本当に力になり、励まされた」とふり返ります。石川県では昨年、珠洲市で大きな地震がありましたが「どこか他人事だったことをとても後悔した。被災直後は、自分と家族を守るので精いっぱい。大切な人のためにも日常から備えてほしい」と訴えます。
 5カ月が経過し、自治体によってはボランティアの打ち切りまで始まる状況に、三宅さんは「公費解体もこれからで、人手はいくらでも必要なのに」と危機感を持ちます。市村さんも「復興には10年、20年とかかる災害で、関心が薄れてしまうことが怖い」と言います。
 寺山さんは「石川民医連は友の会とともに、住民、患者だけでなく、職員一人ひとりの声を聞き逃さないようそばにいて、当事者として何ができるか考え、形にしていく。復興に向けてのとりくみはまだまだ続く。全国のみなさんにはこれからも関心を持って、困難ある所に民医連あり、といっしょに考え、ささえてほしい」と呼びかけます。

(民医連新聞 第1808号 2024年6月17日号)