連載 いまそこにあるケア 第4回 自認しづらいケアとケアラーのグレーゾーン 文:平井登威
僕は幼稚園年長の時に父親がうつ病になり、進学を機に家を出る18歳まで、虐待や情緒的なケアを経験しました。ずっと誰にも話せず1人で悩んでいましたが、大学生になって同じ立場の人と初めて出会い、孤独感が解消され生きやすくなりました。当時をふり返ると、幼稚園から高校3年生まで続けた僕のサッカーが、父にとって精神安定剤のような役割がありました。サッカーの調子がよければ家の雰囲気も良いし、調子が悪ければ家の雰囲気も悪い。今では僕のサッカーも親のケアだったと感じています。
僕は、自分の経験をきっかけに精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人「CoCoTELI」を立ち上げ、日々子ども・若者と出会い、かかわっています。彼ら・彼女らのなかには、家族のケアを担ういわゆる「ヤングケアラー」もいます。同時に置かれている状況も抱える悩みも多様で、「ケアラー」という言葉だけでは言い表せない難しさも感じています。
僕は、僕自身の経験を言語化できていますが、「自分がヤングケアラーだったのか?」という問いに対しては、今も純粋にYesと答えることはできません。精神疾患の親をもつ子どもであり、情緒面のサポートをしてきたのは事実ですが、「自分がしてきたのはケアなのか?」という問いや「目に見えづらく測りづらい」という情緒的ケアの特性に阻まれ、自認の難しさを感じています。
また仮に当時していたサポートがケアであったと自認した場合も、ケアは大変ではありましたが、あくまでも困難の1つだったとも思います。虐待や貧困、ヤングケアラーという大きな困難の表出には至っていないけれど、日々小さな困難が積み重なっているグレーゾーン。そこに対して必要な支援が入らないことで、積み重なったものが結果的に困難の1つとして、いわゆるヤングケアラーという状況になっていったとふり返っています。
ケアラーになる手前のグレーゾーンで、状況に応じた適切なサポートを提供できるようになったら、ヤングケアラーの予防になるかもしれません。制度利用の際、病院受診の際、学校などにその仕組みや意識があれば、気づけるタイミングは多くあるはずです。ケアという困難が表出する前、より予防的な観点からヤングケアラーを捉えるということが、必要なのかもしれません。
ひらいとおい:NPO法人「CoCoTELI」代表。精神疾患の親をもつ子ども・若者をサポートしている。
(民医連新聞 第1806号 2024年5月20日号)
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