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民医連新聞

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連載 いまそこにあるケア 第3回 「ケア」の経験から「家族」を考える 文:中井禾高

 私は高校生の時、一人親の母ががんになり、一度受験を断念しました。母が亡くなり大学生になった後、今度は病床のパートナーと同居するようになり、就職したもののすぐに仕事を辞めざるを得ませんでした。その間、ずっと一人で看護・介助をしてきました。都合十数年、病を有し助けが必要な人の側に居て、キャリアを形成できずにいたのですが、それは私にとって単に「ケア」の経験ではなく、「家族」をめぐる問題であり続けてきました。
 母と私は都市部の核家族で、近隣に親類はいませんでした。同じ県に住むパートナーの親には、仕事を理由に手助けできないと言われ、パートナーの高額な医療費で困窮した際には、母の死後に私の後見人となり家族と思ってきた親族にも相談しましたが、親(私の祖父母)の介護を理由に何もできないと言われました。パートナーの看護にかかりきりの私は、働くことも、社会生活を送ることも困難になっていきました。当時の私もまた、ケアを必要とする状態だったと言えます。対照的に、パートナーの親は自身の老後を心配して働き続け、祖父母と同居する親族は祖父母の資産で住み込みのヘルパーを雇い、定年後も仕事を続けました。
 家のなかにケアが生じた場合、他にケアを担える人がいなければ、未成年でもキャリア形成期でも、その人自身が病気や高齢でも、ケアラーにならざるを得ない状況になります。親族などの助けが得られなければ、事態はより深刻になります。それが家族をケアすることの現実です。負担をめぐる駆け引きでは、定職を持たない若者は交渉力が弱く、当座のケアを担える人と見なされ、大きな負担を引き受けざるを得ない立場になりやすいのです。そして一度負担を引き受ければズルズルと長引き、社会的なキャリアも途絶し、ケアからの離脱が困難となる悪循環に陥ります。
 社会には「ケアは家族が引き受けるべきだ」「他人の家のことに口を出すべきではない」など、家族・家をめぐる多くの規範があります。そうして家のなかでケア負担を強いられる人の存在は見過ごされてきました。当事者たちもまた規範に身を縛られ、自らを犠牲にしてきました。家族のあり方が多様化する今、ケアされる/することを含む、家族と家をめぐる議論を大きく問い直すことが、私たちの社会に求められているのではないでしょうか。


なかいひでたか:大学院で当事者として、病やケアについての研究を行っている

(民医連新聞 第1805号 2024年5月6日号)