連載 いまそこにあるケア 子ども・若者ケアラーの多様な声を届ける 第2回 生き方を左右する多重・長期のケア 文:八木 尚美
私は難病により障害があるきょうだいのいる現役ケアラーです。高校生の時に母が体調を崩し、入退院をくり返しました。しばらくは遠方に住む祖母も手伝いに来てくれていましたが、徐々に同居家族で世話をすることになり、母が亡くなる22歳まで家庭内のケアと家事を担当しました。
母が亡くなる1~2年前、私は希死念慮が強くなりました。私自身、なかなか母の変化を受け止められず、また相談するという発想も持てないなか、障害がある弟の前では弱みを見せたらいけないと張り詰めた状態で過ごし、自分の体調まで崩しました。こうした多重ケアは心身ともに負担が大きいため、気持ちを落ち着けて、自分自身に戻れる時間や場所が必要だと実感しています。
この時期は就活中でしたが、ケアがあるなかで「家族のケア」を中心に考えたことで就職できず、公立図書館のアルバイトをすることに。しかし、平日に休めて役所や銀行に行きやすく、結果的には良かったです。でも、もしケアがなければ、非日常を味わえる旅行が好きで、それにちなんだ仕事がしたかったです。
ケアの必要な家族がいると、どうしても家族から離れて仕事がしたいと希望しても難しく、また急な呼び出しや通院などの介助による休みといった事態も発生します。仕事と介護の両立は、ヤングケアラーにかかわらずどの年代にもかかわる問題です。自身の働き方や生き方に結びついているため、バランスをとることが求められます。
私は小さい頃から不安の強い子どもでした。たとえば、障害のある人と高齢の親が歩いている様子を見た時、かならず自分にやってくる未来で、自分にその役割ができるのかとおびえていました。現在はその未来が近づきつつあり、長期にケアに携わるために50代に近い私がどこまでできるのか、日々試行錯誤中です。
私が「ヤングケアラー」という言葉を知ったのは、約3年前でした。自分の生きづらさはここにあったのかと衝撃を受け、やっと長年のモヤモヤが晴れました。そして、サポートを受けたり、気持ちを吐き出してもいいんだと知りました。言葉を知ることで、自分一人ではない、相談してもよいという安心感が出てきます。言葉の持つ意味の強さもあると実感しています。
やぎたかみ:ヤングケアラー・元ヤングケアラーとその家族のカウンセリングルーム「あしたの」代表
(民医連新聞 第1804号 2024年4月15日号)
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