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民医連新聞

民医連新聞

石川 能登半島地震から3ヵ月

 新入職員のみなさん、ようこそ。民医連は1953年の結成以来、人びとの困難に寄り添い、災害医療や救援活動の経験も蓄積してきました。石川・能登半島地震の被災者のもとにも、県内、そして全国から、仲間が駆けつけています。(丸山いぶき記者)

絆が光る
避難者健康チェック

 3月3日、石川民医連は石川県加賀市山代温泉のホテルで、奥能登地域からの避難者の健康チェックを行いました。医師、看護師、理学療法士などの職員18人と、健康友の会会員3人、石川・富山・福井・静岡の医学生6人の、計27人が参加しました。
 同ホテルには、発災直後に道路や情報網が寸断して孤立集落となった、輪島市大沢町などの住民が集団避難しています。大沢町は、1997年のナホトカ号重油流出事故をきっかけに、石川民医連が「奥能登フィールド」と題して健康調査を行い、医療過疎問題を学ぶ場として、医学生とともに住民と強い絆を築いてきた地域です。
 医学生担当者の吉田由希子さんが「避難生活で体力が落ちていないか。何もできず、どんな思いでいるか」と案じるなか、健康チェックはスタート。職員が血管年齢や骨密度などを測定し、医師が健康相談、医学生らが被災状況を聞き取りました。

■避難生活長期化への懸念

 「平均値より低い人が多い」と話すのは、骨密度測定を担当した大畠麻衣子さん(寺井病院・看護師)。「部屋にこもっている人もいるようで心配。掃除や洗濯などできることはやりたい、と話す80代の人もいた」と言います。県南部に位置する寺井病院には、避難患者が増え、老健もオーバーベッドで対応しています。
 金沢大学5年生の橘拓実さんは「明るく話す人が多いが、聞くと被災の実情は厳しく、気丈に振る舞っていると感じた。あきらめている人もいた」と言います。コロナ禍で制限の多い学生生活を送ってきた橘さん。「本音を引き出せる医師になりたい。将来、診察する上で欠かせない、生活や社会的背景に目を向ける姿勢を学べるこうした機会は大切」と話します。
 この日は、大沢町を含む輪島市、珠洲市からの避難者53人が健康チェックを利用。再会を喜び合う職員と大沢住民の明るい笑顔も見られました。

心ひとつに
全国支援で地域訪問

 全日本民医連は、石川民医連の事業所をささえる医師・看護師・薬剤師、心理職支援に加え、2月26日から、奥能登地域の健康友の会会員宅を訪ね、被災状況やニーズを把握する地域訪問行動を開始しました。輪島診療所を拠点とする2泊3日の全国支援と、近隣県連を中心とした日帰り支援に、のべ252人が参加しています(3月26日現在)。
 3月13~15日の全国支援第6クールには、福島・長野・東京・福井・大阪・長崎から計10人が参加。6人が2人一組で訪問し、4人がそれまでの訪問で出されたニーズに応え、片付けなどの生活支援も行いました。

■1軒1軒訪ね、 心通わせ

 「こんにちはー。輪島診療所から来ました」。地震から2カ月半たち、ようやく、少しずつ水道が復旧し始めたばかりの輪島市河井町に、訪問支援の職員の声が響きます。大規模火災で焼失した輪島朝市通りを含む地域。人通りはほとんどなく、倒壊家屋や「危険」を示す赤紙の家が目立ちます。多くは不在ですが、在宅の会員宅では、被災状況や避難生活、健康への不安など、対話になります。会員数は市人口比25%。「輪島診療所と友の会への信頼が伝わってくる」と支援者は口をそろえます。
 入職3年目で希望して参加した松下琴美さん(長野・健和会病院、言語聴覚士)は、「貴い経験をした」とふり返ります。70代の男性宅では当初、「あんたらは医療だけやっていればいい」と叱られました。しかし、県の義援金を申請できていないという男性。気になった松下さんは翌日再び訪ね、オンライン申請を手伝いました。数時間後、今度は男性がお礼に診療所を訪ねてくれました。「甚大な被害を前に、私に何ができるのかと悩み続けた3日間だったが、本当に来てよかった。職場の仲間に伝えたい」と松下さん。

* * *

 輪島診療所の職員も避難生活を続けています。麻窪優子さん(併設の小多機さくらの里・介護福祉士)もその一人。大沢町と同様、孤立集落となった南志見地区に住んでいた麻窪さんは、金沢に家族を避難させ、2月1日から単身、職場復帰。「診療所で寝泊まりできるのがありがたい」と麻窪さん。全国の支援者とともに、片付け支援などにも加わっています。
 地域訪問行動はひきつづき4月も行います(通達ア-30号)

(民医連新聞 第1803号 2024年4月1日号)