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民医連新聞

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私がここにいるワケ どんな時でも最後まで母子に寄り添う 青森・健生病院 助産師 佐藤 澄枝さん

 民医連で働く多職種のみなさんに、その思いを聞くシリーズ10回目は、青森・健生病院で働く助産師、佐藤澄枝さんです。(稲原真一記者)

■いのちの現場に引かれ

 「子どもの頃、助産師だった母の忙しく働く姿に、こんな大変そうな仕事はやらないと思っていた」と話す佐藤さん。しかし、高校時代の看護体験で生き生きと働く看護師に出会い、いのちと向き合う現場に心引かれたと言います。
 そして入学した看護学校では、臨地実習でお産にも立ち会いました。その時、産婦に寄り添い励ます助産師や、無事に出産を終えた母子の幸せそうな様子に、「この現場で働きたい」と思うようになりました。
 その後、助産師学校での経験から、母乳育児や母子とのコミュニケーションを大切にしている現場を探していた時、母から「それなら健生病院が良い」と紹介されたことが、佐藤さんと民医連との出会いでした。

■喜びもつらさも学び

 現在、産婦人科病棟で主任を務める佐藤さん。助産師の仕事は「とにかく楽しい」と笑います。産後、授乳がうまくいかなかったり、さまざまに悩みながら子どもと向き合う母親や、懸命に生きようとする赤ちゃんの姿に、人と人とのふれあいの大切さを学んでいます。「母乳育児が軌道に乗り、赤ちゃんが母乳を飲んでくれた時のうれしそうな母親の笑顔と、赤ちゃんの成長にはいつも感動している」。
 助産師外来で妊婦健診をしていると、妊娠中の腰痛や便秘、体重増加などに悩む妊婦や、産後にも育児不安を抱える母親とかかわることが多くあります。佐藤さんは助産師として何かできることはないかと考え、2018年から妊婦、産後の母子を対象にマタニティーヨガやベビーヨガ・ベビーマッサージを実践してきました。現在はコロナ禍や職員の休職が重なり休止中ですが、妊産褥婦(にんさんじょくふ)の交流の場にもなり、若い世代の生協組合員の活動につながっています。
 一方で、うれしいことだけではないのもいのちの現場です。特につらかったのは、妊娠36週以降に子宮内胎児死亡で死産となる事例に携わった時。そんな時でも最後まで母親を励まし「がんばりましたね、思いっきり泣いていいのよ」と声をかける先輩助産師の姿に、「どんな形でも寄り添い続ける助産師の姿勢を学んだ」とふり返ります。

■人生に寄り添うケアを

 「生活保護、シングル、若年妊婦、精神疾患の合併など、さまざまな困難事例でも断らず、多職種で向き合うのが民医連の良いところ」と佐藤さん。多職種カンファレンスなどで生活背景にも目を向け、行政も巻き込んで母子のためにできることを考えています。薬剤師、管理栄養士、リハビリスタッフ、SWなど、それぞれが専門性を生かして積極的にかかわっています。医師・看護師も含め、必要なことはすぐに相談できる垣根の低さもあり、「私も年をとったらここにかかりたい、そんな職場」と信頼を寄せています。
 しかし、多くの地域と同様、青森でも出生数は減少。健生病院は1990年代には800件前後だった分娩(ぶんべん)数が、昨年は224件と大幅に減少しています。病棟も整形外科と合併し、分娩、産後のケアを大事にしながら、総合診療内科の患者にも対応しています。
 佐藤さんも、これまで経験のない、複雑な病状や事情の高齢患者を担当することが増えています。「『健やかに産み、健やかに育て、健やかに働き、健やかに老いる』が健生病院設立当初からの産婦人科の理念で、いま求められていることだと感じる。多職種から学び、協力し合い、助産も看護も生まれてから老いるまで、すべてのケアができる助産師になりたい」と、今後を見据えます。

(民医連新聞 第1800号 2024年2月19日号)