石川・能登半島地震から1ヵ月 マンパワー不足で復旧にはほど遠く
1月1日に発生した能登半島地震から1カ月。地理的に閉ざされ、支援活動も困難を極めるなか、石川民医連の職員と共同組織は仲間や地域とささえ合い、変わりゆくニーズに長期支援で応えようと奮闘しています。1月22日、石川民医連能登半島地震対策本部(以下、対策本部)がある城北病院で聞きました。(丸山いぶき記者)
■多くの職員が被災 メンタルケアも課題
「もう自宅には戻れないのか、輪島で働き続けられるのか、すごく焦る」「(火災で自宅を失い)今は何も考えられない。出勤することで気が紛れる」。被災し、親戚宅や避難所に身を寄せながら、輪島診療所と輪島菜の花薬局で奮闘する職員から、そんな声が聞かれています。城北病院看護部長の藤牧和恵さんは、同院の職員からも「帰省先で、倒壊家屋の下敷きになっている人がいるとわかっていても、津波がくるからと走って逃げるしかなかった」「毎日、地震の夢をみる」という声を聞いているといいます。
避難所について「丸2日何の支援もなく、家々から毛布や食糧を持ち寄った。トイレには汚物があふれ、新聞でつくったスコップでかき出した。段ボールベッドが届いたのは10日後」と語る佐渡麗子さん(奥能登健康友の会、専従役員)は、今も避難所で生活しています。
今回の地震では、能登地方の輪島市、羽咋(はくい)市にある4つの事業所をはじめ、帰省中に、あるいは震源から離れた地域で局所的に、被災した民医連職員も少なくありません。石川民医連約1500人の職員は、全員の無事が確認されましたが、患者や友の会会員のなかには、亡くなった人もいます。
対策本部は、全職員の被災状況調査とメンタルケア支援を続けています。石川県健康友の会連合会は1月12~13日、約6000人の会員がいる奥能登全自治体の「居場所」や世話人を訪問。羽咋診療所や内灘町でも、友の会と職員が地域訪問を始めています。
■輪島の職員に休息を 事業ささえる定期便
1月12日からは、月・水・金曜日に金沢・輪島間の往復定期便を運行中。現地職員の休息と事業継続支援に、全国からを含め医師、看護師、薬剤師、心理職、事務などの職員を派遣しています。
1月12~15日の第1陣で医師支援に入った塩谷昌彦さん(城北病院)は、断水で通常診療ができないなか、薬の処方と感染症・発熱外来に対応。「文化的な生活を取り戻すためにあらゆる支援が必要。漁業や漆産業、観光業も軒並み壊滅し、おそらく人口も激減して地域が存続するのか、職員の不安も理解できる。大阪万博のせいで復興が遅れるようなことは絶対に許されない」と塩谷さん。同じく第1陣に同乗した全日本民医連副会長の川上和美さん(MMAT委員長、熊本民医連・看護師)も、熊本地震と比べ「被災地に復旧にあたる人がいないことが異様だった。被災した職員の生活再建支援も課題」と強調します。
■救急16件目で受け入れ 被災者一人ひとり尊重を
他方、能登の被災者を受け入れてきた県内では病床がひっ迫し、劣悪な避難所環境に由来する感染症のひろがりも相まって、救急医療体制に深刻な影響が出ています。「城北病院でも先週、16件目だという救急搬送要請を受けた」と話すのは院長の大野健次さん。地域の避難所訪問や能登からの透析患者の受け入れ対応、県の要請で1・5次避難所支援にも入った大野さんは、県健康福祉部が各病院長を集めた会議でも先頭きって意見をのべ、対応を迫っています。「より深刻に足りないのは介護の人手だ」とも指摘。1月6日には、重度認知症の避難者が付き添いなしに搬送されてきました。県がすすめる1・5次、2次避難方針には、県連事務局長の寺山公平さんも「本人の意思は尊重されているのか、どうやって地域に帰すのか」と疑問を呈します。
順次、全国支援も始まっています(各種通達参照)。ひきつづき、義援金と檄布で石川を励ましましょう。寺山さんは「輪島市内は危険で、まだ訪問行動などはとりくめていないが、地域に出て行くフェーズがかならず来るので、その時は全国から力を貸してください」と呼びかけます。
〈義援金振込先〉
北陸労働金庫 本店 普通 3764694
石川県民主医療機関連合会
会長 中内義幸
※送金の際は別途、報告書も送付ください。
(第ア-819号参照)
(民医連新聞 第1799号 2024年2月5日号)