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民医連新聞

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人命軽視の「防衛力強化」 それ、おかしくない!? 武器輸出推進と大軍拡 平和国家・日本の根っこから議論をしよう

 6月21日に閉会した通常国会では、「5年間で43兆円の防衛費増額」を裏付ける防衛財源確保法(軍拡財源確保法)、防衛産業支援法(軍需産業支援法)が成立させられました。政府与党は、さらに「殺傷性のある武器輸出」まですすめようとしています。平和憲法のもと、武器禁輸政策をとってきた日本で、こんなことが許されていいのか―。学習院大学教授(憲法学)の青井未帆さんに聞きました。(丸山いぶき記者)

武器禁輸政策は平和国家のもと国民が選択した

―戦後日本で、武器禁輸政策はどう生まれてきたのでしょうか?
 憲法には直接、武器のことは書かれていません。でも、「平和国家の日本でつくられた武器が、人を殺していいわけがない」という理解のもとで、日本は武器の輸出を原則禁止する武器輸出三原則をとってきました。憲法9条の内容は、国民が充填(じゅうてん)してきたわけです。
 1952年、朝鮮戦争を背景に、日本はココム(COCOM、西側諸国の対共産圏輸出統制委員会)に加入しました。その後、67年に、東大で開発されたペンシルロケットの輸出問題が起こり、ベトナム戦争も背景に、国会で議論になりました。その際に佐藤栄作首相(当時)が、ココム規制に関する通産省の内部方針として示したのが、最初の武器輸出三原則でした。完全な禁輸政策ではなかったものの、国民的な意識として、「武器を輸出するのはおかしい」と共有されていたからこそ、国会で議論できたのだろうと思います。
 その後、76年の三木内閣の時に三原則は厳格化。不完全ながら、67年の佐藤三原則が国内外にもたらしたインパクトは大きく、多くの国民に支持をひろげたからと理解されています。実現はしませんでしたが、同時期に野党は武器輸出禁止法案も提出していました。同じ76年に「防衛費のGNP比1%」枠を定めた「防衛計画の大綱」も示されています。81年には、3つの武器密輸事件を受け、「実行ある措置」で禁輸を貫こうという国会決議もあげました。
 おそらく、ある程度の年齢以上の人が平和国家としてイメージする内容は、この60~80年代初頭につくられたものです。当時の文献を読むと、日本国憲法のもと、他の国とは違う平和国家でいいんだ、という理解を強く感じます。

―その国民が抱く平和国家のイメージは、変わったのでしょうか?
 私はそうではないと思います。国民には「いつの間にそこまで変わったの!?」と衝撃的なこととして映っているはず。武器禁輸政策が生まれた本籍は、国民の声を背景にした国会でしたが、この間の一連の緩和や「防衛力強化」に向けた政策は、国民的な議論を経ていません。
 83年、中曽根内閣は、日米安保条約を優先させ、対米武器技術供与は武器輸出三原則の例外とする方針を閣議決定。2011年、民主党・野田政権下では、官房長官談話で例外の基準を示し、包括的例外化で実質的に原則と例外を逆転させました。そして14年、第2次安倍政権下で「防衛装備移転三原則」として武器輸出が解禁されて、成長戦略に位置づけられ、15年には防衛装備庁が発足。昨年は安保3文書が閣議決定され、岸田政権のもとでいよいよ執行段階に入っています。
 一方、世論調査では、ロシアのウクライナ侵攻があったからといって、殺傷性のある武器の輸出への賛成は、依然として2割です。
 民主的に正統性の高い国会で生まれたものをひっくり返すには、正式な手続きを経るべきです。それをせずに、内閣限りの決定や解釈変更で、憲法9条や武器禁輸政策を形骸化してきたわけですから、「防衛費をGDP比2%に」「防衛装備移転三原則で殺傷性のある武器の輸出も可能」などと言っても、正統性がありません。

知らさない、議論させない 危険な衝動うむ軍需産業

―日本の軍需産業の実態は?
 成長戦略に位置づけられ、防衛装備移転三原則に変わっても、完成品の輸出はわずか一件で、事業の継続を断念する企業があいついでいます。日米「共同開発」と言いますが、米軍需産業は武器を売りつけ、データを持って行く一方。日本の防衛政策自体が米国のコントロール下に置かれ、日本の軍需産業もそのなかに深く組み込まれています。そして、日本の防衛予算は、米国に武器を売りつけられて、「爆買い」と言われるほどに膨れあがっています(図)
 国民には「わからない」。それがこの問題のポイントです。今国会でも特定秘密保護法の企業版が導入されました。疑問を投げかけても、「お答えできない」「我が国の安全保障上の機微にかかわる情報なので」となる。国民は知ることはできないんだと知ることが重要です。

―「議論しない」「説明しない」まま、すすめられています。
 軍事作戦の情報は隠すのが当たり前。そういう衝動が働きやすい領域です。
 戦前の日本では、天皇が軍隊を動かす権限に通常政治が関与できない「統帥権の独立」という原則がありました。その統帥事項がどんどんどんどん膨らんで、コントロールできなくなったわけです。
 岸田政権にも「議論したくない」「邪魔されたくない」という思惑が透けて見えますよね。議論しないことを事実として積み上げて、それが公然と言われる。
 だからこそ敏感に、「議論しなきゃダメでしょう」「何でこんな額になるんだ?」「社会保障費をこんなに切り詰めて何考えているんだ?」と、言ってかなくちゃ。

―報道や社会の状況の危険性を、どんな風に感じていますか。
 政府が言う前提(軍拡)を受け入れちゃったように見えますよね。憲法論はもう終わった話として執行段階になると、やはりこう同時並行になり、いつの間にか前提を受け入れてしまう。疑問を投げかけ続けるのは大変です。
 でも、武器の話は一つ象徴的で、武器輸出三原則など、少なからぬ影響力を今も示している問題、いわば平和国家の根っこをテコに、問いかけ続けましょう。いま各地で安保3文書のもといろんな変化が生じています。身近で具体的に起きていることに警鐘を鳴らし、マスコミの背中を押すことも必要です。特に国民保護法との関係では、医療従事者への影響も懸念されています。マイナンバーで、医療従事者など専門職の資格情報を紐づけて把握しようという動きもありますが、全部つながっています。

「戦争は絶対に起こさせない」 あたりまえを言い続けよう

―安全保障論は時として、憲法13条(個人の尊重)や25条(生存権)とは別の問題として語られます。
 私もギャップにしばしば驚かされます。今の若い人にとっては、特にLGBTQの問題、同性愛やトランスジェンダーなんて「普通でしょ」というのが7~8割近い感覚であるのに、他方で安全保障問題だと「防衛費増額も仕方がない」と受け入れてしまう。戦争で亡くなるのは生身の人間だと意識しないと、9条と13条は簡単に遊離してしまうんでしょうね。
 国家を守ることが、国民を守ることだと思ってる人も多く、政府はその誤解をうまく使っています。特に医療制度は、国家が十分な予算措置をとって相当にかかわらないと、最低限のものをみんなに分けられない。国家が国家の論理だけですすもうとすると、個人が見失われがちになることを、常に注意喚起する必要があります。

―言葉遣いも気になります。決して「軍拡」とは言わない、「防衛力強化」だと。「死の商人」という言葉にも過剰に反応して、それが伝わりづらさにもなっています。
 政府もずるい。60~70年代の平和国家を想起させる同じ言葉を、中身を全く変えて使い続けています。イメージ優先主義。だからこそ、「死の商人」とか「軍拡」が嫌なんでしょう。イメージが悪いから。自由、法の支配、民主主義など、どの口が言うか、という気がしますけれどね。

―民医連は「いのちと健康を破壊する一切の戦争政策に反対」と運動してきました。最後にエールをください。
 特に医療・福祉にかかわっているみなさんは、人のいのちの重さを、日常で深く感じているのではないでしょうか。そのいのちを軽視する動きが、ますます如実になっていきます。戦時下の国民保護など不可能で、逃げ切れない人は「残念ですね」で済まされるのが軍事的合理性。しかも実際は、米国が作戦する上で一番いい時期、方法で実行されます。
 人命軽視の理不尽さを、説得力を持って語れるのが、医療・福祉に携わるみなさんです。数の話じゃない、地に足のついた、人の顔が見える議論をできるのは、すごく重要。「国家のために犠牲になっても仕方がない」と、障害のある人や高齢者、子どもなど、弱い人から切りすてていくなんて、絶対にあっちゃいけない。そのために、絶対戦争を起こしちゃダメだと、言い続けましょう。自分たちにできることをやりつつ、お互いのネットワークも大切にしていきましょう。


青井 未帆さん
学習院大学法科大学院教授。編著に『亡国の武器輸出』2017年、合同出版

(民医連新聞 第1786号 2023年7月3日)