核なき未来へ歩む世界とともに ビキニデーin高知 知ることから始めよう 広範な核被害の事実
5月5~7日、高知県内で「ビキニデーin高知2023」が開催されました(主催:同実行委員会)。全国から250人超が集い、太平洋核被災について学びを深め、広島、長崎、福島、そして世界の被ばく者と連帯し、核のない未来へ向けて、多様な行動を続けていくことを確認し合いました。(丸山いぶき記者)
「ビキニデーin高知」の開催は今年で3回目。「核被災を学び、核のない未来へつながろう」と、フィールドワークや特別交流会、全体集会を行いました。民医連からも十数人の職員が、長期休暇を利用して自主的に、あるいは職場の援助を受けて参加。共同組織からの参加も多数あり、高知民医連の職員らは実行委員会や事務局に加わり、運営を担いました。
終わっていない「太平洋核被災」
1954年3月1日、米国がマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験ブラボーにより、爆心から160kmの海上で操業していた静岡県焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が、死の灰(放射性降下物)を浴びて被ばくしました。この事実は世界に衝撃を与え、日本の原水爆禁止運動のうねりの契機になりました。
しかし、当時その周辺では「第五福竜丸」以外にも多くの日本の船舶が操業しており、のべ1000隻とも言われる漁船の乗組員が被ばくした事実は、あまり知られていません。冷戦を背景に同年末、日米両政府が政治決着させ、事実を隠ぺいしてきたからです。船員らは被ばくしたことも知らされず、かつての同僚、屈強な元漁師らが、若くして次々と亡くなる現実に直面しても、なす術がありませんでした。そんな元船員が、日本各地にいるはずなのです。
隠された事実を掘り起こした高校生たち
現在、高知の元漁船員とその遺族は、2つの裁判をたたかっており、民医連の医師らも支援しています(『民医連医療』22年11月~23年1月号連載)。操業中に核実験で被ばくし、後に発症したがんなどに対し船員保険の適用(医療・遺族給付)を求める訴訟(東京地裁)と、政治決着で賠償請求権が奪われたことに対する損失補償を求める訴訟(高知地裁)です。
これらの訴訟は、1985年から高知で始まった、高校生らによる元船員の追跡調査で明らかになった事実から出発しています。
県南西部の幡多(はた)地域、四万十市や土佐清水市にまたがる地域の公立高校の生徒たちの自主的な集まり、幡多高校生ゼミナール(以下、幡多ゼミ)のとりくみです。その活動に学ぶことも、今回のテーマのひとつでした。
“足元から”体感する学びでつながり、核なき世界へ
初日から行われた1泊2日の「フィールドワーク幡多」では、幡多地域を訪ねました。四国最南端の足摺(あしずり)岬に程近い宿泊先では、ビキニ被災船員から被災当時の様子やマグロ漁船での生活について聞きました(別項)。
漁船でめぐる足摺岬沖クルーズでは、高波が打ちつけ、不規則に大きく揺さぶられる船の縁にしっかりとつかまる参加者たち。元船員が「板一枚下は地獄」と語った海上の過酷さを想像する体験でした。太平洋に臨み、米国の核実験がくり返されたマーシャル諸島にも思いをはせました。
2日目は、地域を知る漁村文化めぐりと、幡多ゼミ顧問・OGとの対談。幡多ゼミOGのひとりとして発言した津野奈緒さんは、高知医療生協の職員です(地域交流センター四万十、事務)。津野さんは、足元から地域を知り、高校生の自由な発想で社会問題を探求した幡多ゼミの活動をふり返り、「先生たちが決して否定せず、うまくいかなくてもやってみようと後押ししてくれたことがうれしかった」と話します。幡多ゼミで学んだ傾聴の姿勢が、いま、組合員活動をささえる組織担当の仕事に生かされていると言います。
* * *
全国にいる元船員の救済や、被ばくの歴史を埋もれさせないために求められることは―。幡多ゼミ顧問の山下正寿さんは「被ばくの事実すら知らされていない元船員とともに、人権・健康侵害の事実を明らかにしなければならない。健診活動など医療の立場で寄り添える民医連にこそ期待したい」と、力強く答えました。
世界でつづく核の不正義許さないたたかいを
米国は1946~58年の間、マーシャル諸島で計67回(ビキニ環礁23回、エニウェトク環礁44回、広島型原爆の7000倍規模)の核実験を行いました(図)。被害は核実験場だけに留まらず、周辺の島々を汚染し、住民に深刻な健康被害を与えています。
今回は、そんなマーシャル諸島から、同共和国政府の核問題委員会・教育普及担当、エヴェレン・レレボウ=ジェアリックさんも参加。広島の大学生らとともに、高知の運動とも連帯を深めました。
ブラボー水爆実験当時8歳で被ばくし、その後、7回もの流産を経験しながら生き抜いた母・リジョンさんのことを紹介したエヴェレンさん。「恐怖のない世界へ踏み出すために、核の正義(Nuclear Justice)とは何か、問い続けてほしい」と語り、核被害が立場の弱い人に集中している不正義を正していく必要性を訴えました。
最終日の全体集会で講演した竹峰誠一郎さん(明星大学教授)は、「第五福竜丸」や「ビキニ事件」として語り、広島・長崎を「最後に」と語ることで、視野の外に置かれる事実があることを指摘。ひろく「太平洋核被災」問題として連帯することと、核兵器禁止条約の第6、7条がうたう核被害者個人への援助の重要性を訴えました。
民医連参加者の感想
●牛山元美さん(神奈川・さがみ生協病院、医師)
被ばくした船員の生の声を聞き、姿、生活の場を見ることで、ビキニ事件がぐんと身近に感じられた。放射能はいのちを損なうモノであることを再確認。より大きな脅威となる核兵器を持つための核実験は、その結果である健康影響を隠し、無視してきた、まさに犯罪。健康といのち、人権を踏みにじる社会を許してはならない。
●白坂大輔さん(福岡・米の山病院、診療放射線技師)
日本だけでなく、世界規模の核被害問題だと知った。幡多ゼミの高校生や広島の大学生らの活動に勇気づけられた。私も被ばくの問題や、他の社会問題も学んでいこうと思った。このあと職場会議で発表予定。入職2年目だが、職場から行かせてもらえて良かった。
●鈴木誠さん(香川・高松平和病院、SW)
被害の大きさにあらためて衝撃を受けた。早く真相解明して補償させないと残された時間がない。職場で特に若い人に伝え、何ができるか追求したい。補償もなく船員たちは家族にすら話せていない。民医連は大きな構えでアウトリーチが必要。船員手帳の確認と問診票などをつくってはどうか。
●徳原康隆さん(福岡・健和会、介護士)
ビキニ被ばくのことに加え、背景にある漁村文化も学んだ。ジョン万次郎のことや、足摺が航路の要所で和歌山や神奈川と深くつながり、宗田節(カツオ節)の一大産地でもあること、越(こし)湾の特攻隊のことも。17歳で国のためにいのちを落とした若者を思い、あらためて戦争はダメだ、とも思った。
●池橋陽子さん(岡山・林精神医学研究所、事務)
幡多ゼミのような高校生の自主的な学びの場を、高校2年生の娘にも知ってほしくて、いっしょに参加した。娘も「こんな活動が身近にあったら参加したい」と。民医連から大勢参加していて、あらためてすごい組織だと感じた。法人の職員育成担当なので、職場でも社会的成長の場をつくりたい。
●上田(あげた)亮太さん(高知医療生協、事務)
昨年から実行委員会に加わり、昨年は室戸でマグロ漁船にも乗った。延縄が切れて流され、2日間徹夜で回収することもあるそう。そうして獲ってきた魚を捨てることが、どれほどつらかったか。全国のみなさんにはまず知って、被ばく船員・遺族が近くにいるかもしれないと考えてほしい。
被ばくを知らされず船員たちは魚の後に検査
元漁船員 谷脇 寿和さん(89)
私は、1934年、土佐清水市下川口という小さな漁村の生まれ。19歳の時に神奈川県三浦三崎から遠洋マグロ漁船「第十三光栄丸」に乗り、初航海の時にマーシャルで被ばくしました。家は貧しく両親と祖父母、きょうだい9人の大家族。マグロ漁は稼ぎになるから、親戚を頼り船に乗せてもらいました。
ビキニでは水平線がピカッと光ったように思います。船では、明け方から数時間かけて延縄(はえなわ)を数百km流して、しばらくしてローラーで引き上げる。縄がほつれて引き上げが深夜におよび、寝ずの作業も。それを20回以上くり返して130トンの船が満杯になったら、約20日かけて日本に帰港。道中スコールをシャワー代わりに浴び、毎日、魚の刺身や内臓も食べました。
しかし、港で獲った魚を下ろそうとしていた時、突如止められ、汚染されているからと、翌日沖へ捨てに行かされました。私は、隠れて泣きました。2カ月間、いのちがけで獲ってきた魚が、何の稼ぎにもならないわけですから。
その後、乗組員は何度か久里浜の病院で検査されました。でも、何も知らされないまま。先輩たちは全員がんで亡くなりました。23人の乗組員のなかで一番若かった私も、がんで肝臓も胃も切除しました。
私たちが被ばくしたことは事実です。しかし、国はそれを隠して、私らの願いは何もかなえてくれない。みなさんの応援が、私はうれしい。今後もよろしくお願いします。
(民医連新聞 第1783号 2023年5月22日)