相談室日誌 連載539 派遣の過酷さと生活保護の偏見 本当に「消えてしまった」Aさん(長野)
5年前、クリスマス目前の日、夕方に飛び込みの相談がありました。糖尿病と心臓疾患を抱え、前月、急性期病院へ入院、医療費を支払って手持ちがなくなり、薬もなくなって困っていると。リーマンショックで解雇され、派遣で深夜の製造業工場で働いているという50歳近いAさんは「死にたいんじゃないんです、消えてしまいたいんです」と肩を震わせました。Aさんは寒空のなか、原付バイクで当院へたどり着いたのです。しかも同僚から燃料代200円を借りて。取り急ぎ、傷病手当や無料低額診療制度を利用し当院で治療を再開。2年後、派遣契約の満了で失業し、生活保護利用に。生活と医療が最低限保障される安心感と後ろめたい気持ちもあり、「早く働きたい」と精力的に就職活動をしていましたが、車がないので仕事は見つかりません。
そして、ある夜間診療の予約日。Aさんから病院へ、「診察に行こうと思っているけど胸が苦しくて…。救急車を呼びます」と。そこから電話がつながらなくなり、救急隊へ連絡して、3階のアパートの窓を割って入ると、倒れているAさんが。病院に搬送しましたが、間に合いませんでした。
Aさんは「本当に消えてしまった」のでした。高校を卒業して以来会っていなかった父親と兄に連絡がつき、福祉事務所の人にも来てもらいました。Aさんと対面し、5年前のあの日のこと、寒い日も雨の日も雪の日も、バイクで深夜の工場に通勤して仕事をがんばっていたこと、生活保護の利用で申し訳なさそうにしていたこと、仕事を見つけようとがんばっていたこと、「お金が少したまったら、一度飛行機に乗ってみたい。もう派遣はいやです。心がいつでも不安になります。正職員の面接に行ってきます」と、生きようと思っていたことなどを伝えました。
ソーシャルワーカーとして、彼らに、Aさんの生きた証拠を少しでも伝えられたのかもしれません。背負ってきた歴史のなかで、生き抜こうとしていたのだと。派遣という過酷さや、生活保護への偏見などにあらがいきれなかった悔しさも含めて。
生活相談会として私たちが行っている年末屋台村という企画に、Aさんの姿を見たかったと思いました。
(民医連新聞 第1782号 2023年5月1日)