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民医連新聞

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相談室日誌 連載536 被爆者に寄り添って 黒い雨訴訟勝訴で申請容易に(広島)

 Aさんは80代の女性。原爆の爆心地から6kmほどの地域で生活していました。1945年8月6日の朝、登校していた国民学校は、建物のガラスが割れるなど被害が出ました。帰宅途中、雨が降り出し、服が黒く汚れました。原爆の炸裂で巻き上げられた泥やほこり、ススに放射線物質を含んだ放射線降下物の一種であることを知ったのは、かなり後になってからでした。
 1976年、国は被爆地に大雨降雨地域と小雨降雨地域を設定し、大雨降雨地域対象者には、第1種健康診断受診者証を発行しました。設定降雨地域はきれいな楕円(だえん)形で、地域住民からは「おかしい。こんなにきれいに線がひけるわけがない」「川一本で降雨地域がわけられている。うちは小雨地域だが、かなり降った」という声があがり、当時大きな運動に発展しました。1977年、小雨地域の当院も、当時組合員とさまざまな活動を展開していましたが、制度改善にはつながりませんでした。
 2000年代、行政が雨域調査を行ったことなどをきっかけに、多くの地域に住民が主体となった「黒い雨の会」が結成されました。Aさんも地域で黒い雨の会の会員として活動しましたが、会員の高齢化もあり、活動も下火になっていきました。
 15年に提訴された黒い雨訴訟が21年7月に結審し、降雨地域が拡大して、直接、被爆者健康手帳を申請できるようになりました。Aさんは、早速弁護団が開催した申請相談会に参加し、被爆者健康手帳を申請しました。この相談会でSWと出会い、SWはAさんが元「黒い雨の会」の会員にも声をかけ、申請を手伝いたいという思いを持っていることも知りました。
 広島医療生協でも、地域住民を対象に被爆者健康手帳申請相談会を行ってはどうかと理事会で提起されたこともあり、SWはAさんと地域で相談会の予定を立て、2021年10月から実施しました。
 現在、この頃に申請した人には、ほぼ手帳が発行されています。
 病院の受付に真新しい被爆者健康手帳を持参する患者に、「よかったですね」と思わず声をかけてしまいます。長年の地域課題に、被爆者といっしょにとりくめたことを本当にうれしく思います。

(民医連新聞 第1779号 2023年3月20日)