フォーカス 私たちの実践 人を幸せにする胃瘻造設 胃瘻の倫理的側面と倫理カンファレンス 岡山協立病院
7月の全日本民医連医療介護倫理交流集会で岡山協立病院の栄養サポートチーム(NST)委員長の板野靖雄さん(医師)が、胃瘻(いろう)の倫理的側面を語り、造設の適否を検討する倫理カンファレンスの実践を報告。概要を紹介します。
当院では2005年よりNST活動を開始しています。チームによる病棟回診で認知症、脳血管障害等の患者の多さに驚きました。それらの患者をさらに苦しめているのは低栄養でした。写真はそのような患者の下腿で、これは「院内飢餓」と呼ばれる状態です。
約10年前、私の叔父が病院で痩せ衰えて亡くなりました。葬儀の参列者はその姿を直視できず、ただ遺影に向かって話しかけるだけでした。この時「人間として何とかしなければならない」と思った使命感がNST活動を続ける私の原動力になっています。
胃瘻造設は2012年以降全国的に大きく減少。当院でも胃瘻造設件数は同様に推移しています(図1)。これには大きな転換点があります。それは2012年、自民党の石原伸晃氏による胃瘻患者に対する「エイリアン」発言です。発言の誤りは、胃瘻を意識のない人に管を入れて「生かす道具」と考えたことです。その後マスコミによる、胃瘻に対するバッシングが。そのため、家族が胃瘻造設を拒否する例が増えました。
2014年、国は胃瘻造設の診療報酬を削減。さらに2015年には、「経口摂取回復率35%」や「多職種カンファレンスの開催」等の施設要件のハードルを設け、造設件数の削減をはかりました。
その結果、中心静脈栄養や経鼻胃管栄養が増えました。それらは医療費を増加させます。また胃瘻造設の制限で胃瘻が必要な人に届かなくなり、サルコペニアを招き、それは介護費用の増加に繋がったと思います。
■胃瘻は 「松葉杖」
胃瘻は摂食障害をささえる道具です。だから、摂食できなくなった人に「最後の手段としての胃瘻」という考えをやめなければなりません。在宅往診で有名な長尾和宏医師は、それを「松葉杖」に例えて説明しています。歩行できない人に松葉杖をつくらないのと同様に摂食できない人に胃瘻造設はすすめられません。
造設にあたり、その胃瘻が患者に利益をもたらすのかが重要です(図2)。また、予後の限られた人、延命目的のためだけの人にも造設は行いません。
嚥下(えんげ)機能から見た造設の適応は嚥下訓練が可能な人です。嚥下機能が廃絶すると唾液を誤嚥し、肺炎をくり返し苦しみます。著しい低栄養も、合併症を引き起こし、予後を悪化させます。
■感謝の言葉がもらえるように
どんな時にカンファレンスを行うか。それは医療者と患者、家族との間で、意思決定が難しい場合です。また本人の意思決定が困難で、身寄りがないなど「これは倫理の問題」と思った時に倫理カンファレンスを行っています。
解決の難しい問題に対し、「一人ひとりが意見をのべると混乱するばかり」と思いがちです。しかし実際にはカンファレンスを通して、患者の置かれているリアルで複雑な現実が見えてきます。そこから100点ではないけれど皆が納得する合意点が見つかることがあります。
実例を紹介します。
ケース① 80歳男性、心原性脳塞栓症。摂食量は減少、入院2カ月で9kgの体重減少。本人は胃瘻を希望せず、身寄りもなし。カンファレンスがすすむなかで、主治医の髙橋淳院長が「胃瘻造設でADLや病状の改善は期待できないが、現在はひどく不快ではないと推測される。胃瘻造設でその状態を続けることに意味があるのではないか」と発言し、皆がうなずきました。胃瘻造設施行。5カ月後、体重を維持して施設へ退院しました。
ケース② 85歳男性。脳梗塞の再発。胃瘻造設目的の入院。嚥下不能。発症後の期間が短かったため、看取りを選択することができませんでした。胃瘻造設施行。やはり肺炎を合併。その後の中心静脈栄養でも敗血症を合併。このプロセスを家族と共有しつつ看取りに移行しました。コロナ禍ではありましたが、ほぼ毎日の面会を許可しました。1カ月後に死亡。娘さんより「家族の時間が過ごせました。ありがとうございました」と言われました。このような感謝の言葉をもらえるかかわりをつくることが、私たちの仕事のやりがいかなと思います。
(民医連新聞 第1770号 2022年10月17日)
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