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民医連新聞

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最終回 あれから10年 私の3.11 ㉔いま、平和と人権を守る民医連の役割は 福島・医療生協わたり病院 国井 綾

 私は福島県いわき市で生まれ育ち、中学生時代に医師を志しました。2009年に昭和大学医学部に入学し、山梨県富士吉田市での寮生活(1年生の時)を経て、卒業まで東京で生活しました。
 2011年3月11日、当時3年生の私は北海道・東北地協の奨学生合宿に参加しており、広島空港で地震発生を知りました。都内の自宅に戻ると書棚のものが散乱。報道で東京電力福島第一原発事故を知り、どこか遠くの出来事のように感じてしまったことを覚えています。
 いわき市の実家は福島第一、二原発から約60km離れており、家族はそこに留まりました。私は、卒業後は地元福島で医師人生をスタートするのだと、何の迷いもなかったのですが、「何の迷いもなく」とはいかなくなりました。計画停電や自粛ムード、風評被害、官邸前金曜行動など、東京でも原発事故に伴うあらゆる社会的影響や新たなムーブメントが生じました。この頃から、日本のデモ活動が、誰でも参加しやすい雰囲気に変わったような気がしています。私も官邸前行動には何度か足を運び、政治と民意との乖離(かいり)を感じていました。
 大学卒業までに帰省や病院実習などで何度も福島を訪れ、さまざまな思いを持ちながら福島で暮らす人びとに出会いました。奨学生としての学びを重ね、民医連は平和と人権を守る運動体としての存在意義があるのだと感じました。次第に迷いはなくなり、福島の民医連医療の力になろうと決意。2014年に医療生協わたり病院に入職し研修を開始。当初志した小児科から、民医連の病院でプライマリケアにかかわりたいと、家庭医・総合診療医へ方向転換しました。震災後数年間は全国の民医連からの多大な支援にささえられました。
 あれから10年、国内外数々の災害、さまざまな経験を乗り越えて私たちは今を生きています。昨年には痛苦の経験、多くの良心のもとに核兵器禁止条約が発効し、反核運動は発展しています。しかし、日本は核の傘に固執し、逆行しています。
 2022年3月、春の訪れを感じる季節に国際情勢は極めて不安定です。ウクライナがロシアにより軍事侵攻されています。入職後すぐに参加した全日本民医連の新入医師オリエンテーションで、ウクライナの民族楽器バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんの演奏、歌を聞きました。ナターシャさんは幼少期にチェルノブイリで被ばくし、その後民族音楽団の一員として日本を拠点に世界の平和を祈り活動しています。
 激動の情勢のなか、まだまだ民医連の役割が残っていると考えています。(医師)
(連載おわり)

(民医連新聞 第1756号 2022年3月21日)