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民医連新聞

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あれから10年 私の3.11 ㉓10年かけ掌握した事実を「政治」へ 作家 稲光 宏子

 東日本大震災は、かねてからの自民党政治の悪政の結果として、深刻化する三陸地方一帯の医療過疎化と、高齢者が孤立する不安が高まるなかで起きました。震災は問題を爆発的に顕在化し、住民のいのちを容赦なく奪い、危険にさらしました。
 災害医療支援は、たとえば、岩手県「大船渡市支援要請」に応えて、全国の医療関係団体や集団・個人が駆けつけ、それぞれ活動を展開し、交流しました。地震と津波で壊滅的打撃を負った大船渡地域は、民医連の医療施設がないところでもありました。民医連は全国の医療関係者と協力し、待ったなしの医療といのちの大切さを共有しながら、住民に求められる医療・福祉の再建展望を示すことを試されたのです。
 しかし、駆けつけた支援者個人の多くは災害や支援の全体状況を掌握できるはずもなく、差し迫った課題をこなすことに必死でした。「目の前の必然に没頭している間に、支援できる期限いっぱい」という状況が、ほとんどではなかったでしょうか。
 被災者に至っては、身の回りのこと以外は、何が起きているか知る由もない。全体像など見えるわけもなく、いのちの極限と向き合うことが求められたわけです。
 そんななか私に求められた課題は、「民医連の関係者ではない立場、あなたのヒューマニズム」から、事実と全体像をとらえつつ、「今日の民医連が災害医療に挑む姿を、ズバッと切り取り描いてほしい」ということでした。民医連による支援は大船渡だけでも兵庫・東神戸病院から始まって、北海道、東北と全国的にひろがりました。災害後、全国各地で開かれた「災害学習会」に招かれた私は、さらに新たな感動に出会いました。学習会は現地に派遣された人と現地を知らない人が交流して、自らの生き様と重ねて災害を認識する場になりました。そうした学習会を通じて、災害支援現場での壮大なドラマは少しも色あせず、今日に生きていると、私は思います。
 「災害体験の風化」を喧伝(けんでん)する一部マスコミもあります。それは、今なお経済的再建も遠く苦しみから逃れられない現地の実相を見ない、忘れることで「利する人間」、責任を逃れようとする側の論理です。
 前代未聞といわれるほどの災害であったからこそ、この10年はその全体像・実相を、かかわりを持ったすべての人が、時代に生きる責任として、掌握するために必要な年月ではなかったかと考えます。いまこそ全体像をふり返り、被災地で人間が生きて行くための条件を切り開く「政治の力」を築くことを本気で考えましょう。


 いなみつ・ひろこ 東日本大震災での民医連の支援活動を取材し『被災者に寄りそう医療』(新日本出版社、2011年)を出版

(民医連新聞 第1755号 2022年3月7日)