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民医連新聞

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あれから10年 私の3.11 ㉑黄金の釘を打ち続ける 福島県農民連会長 根本 敬

 劫初(ごうしょ)よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ
 これは、与謝野晶子の歌です。46年前に東京電力福島第二原発設置許可の取り消しを求めて、地元住民400余名が国を相手に起こした行政訴訟の弁護団共同代表、安田純治さんが、生業(なりわい)裁判仙台高裁勝利判決を受けての一文に寄せたものです。そして、こうのべています。
 「46年前の訴訟提起以来、変人、奇人扱いされ、故郷に弓引くとまでそしられた地元の原告たち、そして裁判所からまで愚民扱いされた側に属する私としては『それみたことか』と、先見の明を誇ってもおかしくなかったはずだが、何故か、全くそんな感情は湧かなかった」
 科学者としてともにたたかった安斎育郎さんはこう書いています。「忘れないでほしい。…40年近くも前、激しい嵐に抗しながら傲岸不遜(ごうがんふそん)な国家と電力企業を相手に、弁護士や科学者と手を携えてこの国の原発政策の是非を根底から問い、懸命に闘っていた人々がいたことを。…彼らの闘いは『静かなる壮絶』というべきものだった」(『裁かれなかった原発神話』から)
 2021年4月に詩人の若松丈太郎さんが亡くなりました。若松さんの詩に「神隠しされた街」というものがあります。1994年に書かれた詩です。それから17年後の2011年3月11日。福島第一原発過酷事故。この「神隠しされた街」には、「原発事故」を予言したかのような言葉がちりばめられています。しかし、それは「予言」ではなく、若松さんが、チェルノブイリで見た現実を、自分が住む福島原発近辺に置き換えて詩にしたのです。若松さんは、原子力発電ではなく「核発電」と言い続け、事故後、「記憶と想像」という詩を残しています。
 わたしたちは福島の事故がまだ終熄していないことを知っている
 わたしたちは25年のちの福島がどうなっているかを知らない  …中略…
 わたしたちは200万年のちの人類がどう生きるかを知らない  …中略…
 彼らがわたしたちを200万年のちに記憶しているか
 わたしたちが彼らの記憶にとどめられている存在なのか
 わたしは想像できない
 半世紀の間、原発に異議をとなえてたたかった人たちが福島にいました。いまもいます。この人たちのたたかいの記憶こそ、未来を想像するための黄金の釘です。私たちは、新たな黄金の釘をひとつずつ打ち続けます。
(ねもと・さとし 二本松市で農業に従事。水田3ヘクタールほか営農、40アールあったアンポ柿は原発事故後20アール伐採。2015年より現職)

(民医連新聞 第1753号 2022年2月7日)

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