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民医連新聞

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診察室から 思いがけない楽しい発見

 昭和生まれのIT弱者ですが、新しいものも生活に取り入れようと、動画配信サービスなるものを使い始めました。以来、映画を楽しんだり、毎週見ることが困難な帯ドラマを別日に見たり、猫動画に癒やされたり、大変有効に活用しています。そんななか、以前話題となった映画「君の膵臓をたべたい」をたまたま視聴。余命1年を宣告された17歳の女の子の、あるセリフが胸に刺さりました。
 「生きるってのはね、きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ。誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かといっしょにいて楽しい、(中略)。それが、生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるってわからない。(中略)そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う」
 17歳らしい、若い感性で語られた「生きる」。生物学的には脳波があり、心臓が動いている状態が「生きている」ですが、個々の「生きている実感」は、やはり自分以外の誰かとかかわるなかでこそ得られるものかもしれません。
 たくさんの在宅患者を診るなかで、私も医学的な観点とは別に「この人も絶対に孤立させてはいけない」と思うことが多々あります。誰かが自分を気にかけ、社会が自分を守ってくれていると思うことは安心に繋がり、明日を生きる活力になります。逆にそれがなくなった時、人は生きていけないのだろうと。私たち医療従事者はその「誰か」でありたいと思います。そして、すべての個人を守ってくれる社会をつくらねばとも。
 病気がテーマだったり医療現場が舞台の映画・ドラマは、その設定の矛盾が気になり、集中して見られないので敬遠していました。この映画にも「おや?」という場面はあったし、もっとみずみずしい世代向けだとも思いますが、作品中にひとつでも心に残る、自分の生き方の糧になる部分を見つけて満足できるのも、この歳ならではだなと、ちょっと楽しい発見をした気分でした。(木下真理子、長野・つるみね共立診療所所長)

(民医連新聞 第1753号 2022年2月7日)

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