沖縄復帰50年 米軍基地のいま
今年は沖縄が、戦後の米軍占領統治から日本に復帰して50年の節目。しかし、復帰後も続く沖縄の基地負担は、県民の再三の意思表示にもかかわらず未解決のままです。(稲原真一記者)
昨年12月4日、キャンプ・シュワブゲート前の抗議集会に、沖縄県の玉城デニー知事が初めて参加しました。沖縄防衛局が提出した辺野古新基地建設の設計変更申請を不承認としたことを報告。「辺野古の埋め立てに正当性はなく、沖縄県民が自ら基地を提供することはあり得ない。私たちの正しさに確信を持ち、国の横暴に負けてはいけない。一致団結して行動していきましょう」と呼びかけました。
民意はあきらか
沖縄県には国土の約0・6%しかない土地に、日本の米軍基地の約70%(図1)が存在しています。基地の集中は米軍による事故や犯罪、基地施設による環境汚染など、甚大な被害を沖縄にもたらしています。その大きな要因の一つが、普天間飛行場(宜野湾市)です。住宅地の中心に位置するこの基地は、米軍関係者からも「世界一危険な基地」と言われ、日米の政府間でも全面的な返還が合意されています。しかし、その条件として米国が代替施設を要求し日本が建設をすすめるのが、名護市辺野古の新基地です。
「普天間飛行場は戦後“銃剣とブルドーザー”で県民から無理矢理奪った土地につくられた基地。無条件撤去・返還するのが道理」というのが、選挙などでも示された沖縄県民の一貫した立場です。2019年の辺野古埋め立ての是非を問う県民投票でも、7割以上が反対の意思を示しています(図2)。
思いを踏みにじる政府
これらの意思表示に対しても日本政府は「辺野古移設が唯一の選択肢」とくり返し、コロナ禍で市民が抗議活動を自粛している間にも、大量の土砂を搬入し投入。莫大な建設費に加え、警備費にも1日約2200万円と大量の税金が使われています。
また辺野古にはジュゴンの生息地として知られる貴重なサンゴ礁があります。昨年このサンゴの移植について、県は裁判闘争の末「生存率を下げる台風時期・高水温期を避けること」を条件に許可。ですが、国はその条件すら無視した移植を強行し、大量のサンゴが死滅の危機にあります。
さらに沖縄防衛局は2015年には、建設予定地に工事が不可能なレベルの軟弱地盤があると把握していたにもかかわらず、隠して工事を強行。2020年末になって問題を公表し、工期や費用が大幅に増えた「埋め立て設計変更承認申請」を行いました。これには、いまも戦没者の遺骨収集が行われている、本島南部地域の土砂を埋め立てに使う計画が含まれ、県内外から非難が殺到。昨年11月、玉城知事は申請を不承認としました。現在、公的機関である沖縄防衛局はこの不承認に対し、“私人”のための「行政不服審査請求」を“身内”の国土交通省に申請する暴挙に出ています。
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この間の政府の対応に、ヘリ基地反対協議会共同代表の豊島晃司さんは「県民の意思を踏みにじる行為で怒り心頭だ。何度民意を示しても、税金を湯水のように使って工事を強行する。政府は沖縄を日本と思っていないのではないか」と語気を強めます。
今年、沖縄では辺野古のある名護市の市長選挙(今月)、さらに県知事選挙(秋頃)など、県民の意思が示される選挙が続きます。新基地建設反対を表明し、名護市長選へ立候補している岸本ようへいさんは「辺野古の基地は人権の問題」と訴えます。この民意を政府はどう受け止めるのか、日本の民主主義が問われています。
基地をなくし 憲法が生きる豊かな日本を
沖縄の基地問題には、戦前からつづく苦難の歴史と県民のたたかいがあります。全日本民医連は、この問題に全国から支援・連帯をしてきました。私たちに求められることはなんなのか。(稲原真一記者)
戦前戦後の苦難
太平洋戦争末期、沖縄に米軍が上陸。日本では数少ない地上戦が行われ、「鉄の暴風雨」と言われる激しい攻撃にさらされました。軍人だけでなく、住民や動員された学生などの多くが犠牲になり、当時沖縄にいた4人に1人が亡くなったと言われています。
敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が本土から撤退した後もなお、沖縄は米軍の統治下に置かれ、軍事拠点化がすすめられます。旧日本軍が住民から奪った土地につくった基地はそのまま米軍が利用。加えて米軍は住民を強制収容した上で土地を奪い、新しい基地までつくっていきました。米軍統治下では死者17人、重軽傷者210人を出した「宮森小学校ジェット機墜落事故」をはじめ、米兵による犯罪や事件・事故が多発。住民から本土並みの権利を求める復帰運動が強まり、1972年5月15日に沖縄は日本に返還されました。
守られない人権
しかし復帰後も沖縄には米軍基地が残りつづけ、その被害は終わっていません。1972~2019年までの間で、米軍関係の刑事事件は6000件以上(うち殺人・強盗・強制性交等などの凶悪犯罪は580件)、航空機事故も800件を超えています。昼夜問わずに行われる飛行訓練の騒音被害や、近年は基準値の数千倍もの環境汚染物質の流出なども判明し、大きな問題になっています。
沖縄民医連の事務局長、名嘉共道さんは「沖縄の基地問題を考える上で、決定的だったのは1995年の少女暴行事件」と言います。当時12歳の少女を米兵が誘拐し、集団で性的暴行をした事件でしたが、日米地位協定(別項)により米軍が容疑者の引き渡しを拒否しました。日本の警察が取り調べすらできない状況に、沖縄県民の怒りが爆発。「抗議集会に8万5000人が集まったと聞いて震えた」と名嘉さんはふり返ります。これを重く見た日米両政府は翌年、代替施設への移設を条件に、普天間飛行場の返還に合意しました。それにもかかわらず、その後も各地で軍用機の墜落や米兵の犯罪は後を絶ちません。そのたびに、県民は抗議集会などで声を上げてきましたが、その声は黙殺されつづけました。
また高度成長期を米軍統治下に置かれた沖縄は、経済発展でも大きなハンデを負いました。そのため、一時は基地に依存する経済でしたが、現在では基地が経済におよぼす影響は6%程度と言われています。県連事務局の瀬長宏文さんは「基地があることで沖縄が得をしていると思う人がいるが、実際には逆。返還された跡地を利用する方が経済的メリットはずっと大きい」と指摘します。基地返還が実現した地域では、跡地利用により返還前の28倍の経済効果と72倍の雇用を生み出しています。基地が経済発展の阻害要因にもなっているのが現実です。
《日米地位協定》
1960年に締結された日本国内での米軍の地位について取り決めた協定。裁判権が競合した際に米軍が優先される規定や、基地内では国内法が適用されないなど多くの問題がある。この協定を根拠に沖縄では、事故現場に日本の警察が立ち入ることすらできない事例や、米兵が犯罪を起こしても基地内に逃げ込めば罪に問われない事例などが後を絶たない。また基地内の出入国は日本の検疫が適用されず、コロナ感染拡大の一因となった。
沖縄の民意は示された
県民の思いと県政が一致する大きな転換点となったのは、2014年の県知事選挙でした。前年、沖縄県は、オスプレイの普天間飛行場配備撤回と基地の無条件撤去・返還を求める建白書を、県議会議長と各会派や全41市町村の首長・議長などの合同で、当時の安倍首相へ提出しました。この建白書実現を公約に掲げ、保革を超えた“オール沖縄”の県知事候補として立ったのが、故翁長雄志さんです。「イデオロギー(政治的思想信条)よりアイデンティティー(沖縄県民の尊厳)」をスローガンに、基地容認の現職に13万票近い差をつけ圧勝。名嘉さんも「復帰後で1番大きな政治転換だった。たたかう相手を明確にし、米軍基地はいらないという沖縄の民意を示した」と言います。
その後も翁長さんは度重なる国からの圧力にも屈せず、基地反対を貫きましたが、任期中に病で亡くなりました。2018年からは、翁長さんの遺志を継ぐ玉城デニー知事が誕生。新基地建設を止めるたたかいを続けていますが、国は工事を強行しています。
人権、 いのちの問題
全日本民医連は沖縄のたたかいを重要課題と位置づけて、2004年から48次にわたる支援連帯行動を行ってきました。コロナ禍で中止されるまで、全国からのべ2656人の職員が参加し、沖縄の現状を学びました。現地へ行くことが難しくなるなか、沖縄民医連では少しでも基地問題に触れてもらおうと、学習動画を作成し、全国に発信しています。動画作成を担当した瀬長さんは「飛び交うヘリや広大な基地を目の当たりにして、あらためて基地の危険性と異常さを実感した」と憤ります。
今年の沖縄は選挙イヤー。名護市長選の応援に駆けつけた、老健かりゆしの里の久場香さん(事務)は「未来のため、自分の3人の子どもたちのためにも基地をなくしたい。基地がないのが当たり前の、基地を過去の話にできる沖縄に」と語ります。
名嘉さんは「沖縄の基地問題は民医連綱領にも掲げられている人権、いのちを守るたたかい。全国の職員には沖縄の問題に関心を持って、学び、行動してほしい。沖縄の問題の解決が、憲法が生きる豊かな日本をつくることにつながる」と力を込めます。
沖縄県民の意思は以前から何度も示されてきました。必要なのは国民全体が、沖縄の問題を憲法や人権の立場から「おかしい」と声を上げ、日本の政治を変えることです。国が変わらなければ、沖縄の問題は解決しません。
沖縄に生きて
自分事として考え
千々和可怜さん(沖縄協同病院・初期研修医)
私が基地を強く意識するようになったのは、県外で進学中に元米兵による婦女暴行殺人事件(うるま市)を聞いたときです。「被害者が自分の友人だったら…」と怖くなりました。それから知人と話すなかで「基地があることで、いのちが脅かされている」と思うようになりました。
特に普天間などで昼夜問わず、民家の間近を飛び交う米軍機は本当に異常だと思います。コロナ禍でも、人口の少ない沖縄で何度も感染がひろがったのは、GoToキャンペーンや米軍基地が原因です。それをまともに謝罪や抗議もしない米国や日本の政府に、沖縄への軽視や差別を感じます。基地が日本の安全保障の問題というのであれば日本中で議論すべきです。沖縄だけに押しつけるのはおかしいと思います。
いまは「この基地を未来の子どもに残していいのか」との思いがあります。沖縄では患者の生活背景のどこかに基地の影響があり、それが病気の原因にもなります。差別がなく、平和で安心して暮らせる社会でこそ健康に暮らせます。多くの人の健康のためにも、基地はなくすべきです。
全国のみなさんには“沖縄の問題”で片付けるのではなく、「自分の街で起こったら」と想像してほしい。一人ひとりが自分事として考え行動してもらえたら、沖縄の現状もよくなるはずです。
いのちを守る立場で
西銘秀平さん(沖縄協同病院・理学療法士)
私は子どものころから身近に米軍基地があり、通っていた学校も平和教育に熱心で、物心つくころから基地を意識するようになりました。ただ積極的に関心を向けるようになったのは、民医連に入職してからです。署名やデモ行進に参加して、日常的にも基地問題を意識するようになりました。
米軍関係の事件や事故があるたびに、「基地がなければ…」と思います。軍用機の墜落や部品などの落下事故も頻繁に起こり、死傷者がいないのは、たまたま人のいないところに落ちているだけ。地元で事故があったときは「身内になにかあったのでは」とゾッとしました。昨年、青森で米軍機が燃料タンクを投下したニュースを聞いたときは、沖縄だけの問題ではないとあらためて感じました。
辺野古の基地にたくさんの税金が使われていることもおかしい。地元住民が反対している基地にお金を使うより、コロナ禍で困っている人のために使うべきです。
医療従事者は、いのちや健康を守る立場です。戦争や基地はその真逆のもの。それに反対の声を上げるのは、私たちの役目だと思っています。民医連のこうした活動を、もっと多くの人に知ってほしい。そして辺野古の問題も沖縄だけでなく、全国の問題として考えてほしいと思います。
(民医連新聞 第1752号 2022年1月17日)