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民医連新聞

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あれから10年 私の3.11 ⑭「てんでんこ」がいのち守る 岩手・盛岡医療生協宮古支部 小名 計子

 東日本大震災からの10年は、私にとっては、とても苦しく長い年月でした。あの日のことは、決して忘れることはできません。私は病院で助産師として働いており、地震発生の20分前にもお産があり、安堵していた矢先の午後2時46分、経験したことのない大きな地震で病院が揺れました。私はとっさに、まだ分娩台で休んでいた産婦におおいかぶさり、必死に守りました。生まれたての赤ちゃんは湯たんぽや毛布でくるみながら別室に移動、電気は止まってしまい、まもなく大津波の襲来、院内はパニック状態でした。まず、患者を3階へ移動させ、揺れが落ち着くまで赤ちゃんを抱かせました。お母さんたちはたくましく、私たちといっしょにあの真っ暗な病院のなか、懐中電灯だけで乗り越えました。
 家族への携帯電話はまったく通じず、自宅や家族がどうなっているかわからず、不安を抱えたまま、患者を見守るため病院に泊まり込みました。あの状況で犠牲者を1人も出さなかったのは本当に幸いで、とっさの判断が大切だったと思います。
 翌日、夫が病院に迎えにきて、自宅は流され、姑(しゅうとめ)が見つからないと聞きました。住んでいた地区はまるで空襲の後のような惨状が広がっており、言葉になりませんでした。病院はしばらく休業、地域の人たちと助けあいながら復旧作業にあけくれ、みなし仮設のアパートに4年住み、やっと自宅再建にこぎつけました。
 今だから思うことは、震災を伝えていくこと、当地方の言い伝え「てんでんこ」がいのちを守ること、日頃から防災意識を高めておくことが大切だということ。姑が数日後に見つかり、遺体安置所に運び寒空で受け付けを待っていた時、どこかの新聞記者からインタビューを受け、何か話しました。気にもしていませんでしたが、約4カ月後、青森県の友人から「あなたの記事見たわよ。生きていて本当に良かった」と電話がありました。その後は機会あるごとに震災について書き伝えてきました。
 最近は、新型コロナ感染拡大のことが連日報道され、全国各地で起こる豪雨災害やまたいつ起きるかもしれない震災が、忘れられつつあるのではないかと危惧しています。「てんでんこ」は、大きな地震があったら津波が来ると思い、自分の今いるところで自分で判断し、高いところに逃げていのちを守ることが大切だという教訓です。
 岩手県ではこの10年、医療費免除措置がとられ、震災後、病院にかかることの多かった被災者は助かりました。しかし4月以降は原則有料となり、高齢化する被災者は体調に不安を感じながら過ごしています。

(民医連新聞 第1745号 2021年9月20日)