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民医連新聞

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相談室日誌 連載501 サ高住は断念し入院継続 自問自答のなか家族の連絡(京都)

 退院したAさんの妻から一本の電話がありました。「サービス付高齢者住宅の入居は経済的理由もあって断念しました。現在入院中の病院は医療費の助成で助かっており、本人も納得しています。そちらの病院でコンビニや食事に行けたことを本人は喜んでいて今もそうしてほしそうですが、ここでは体制上難しいようです。代わりに家族で連れ出してあげようかという矢先にコロナ禍で面会もままならず。だけど、以前はそういう気持ちにもなれなかった。少しずつ関係が良くなって気持ちに変化が出てきたことを伝えたくて」。
 リハビリ目的で当院へ来た時から妻は、もういっしょには住めないと涙を流していました。45歳からうつ病を発症し、47歳からは脊髄梗塞の疑いで通院加療。休みながらも就労を続け61歳、駅のホームで動けなくなり入院となったAさん。妻はAさんの援助と子育てを一人でがんばってきました。そして子育てが一段落したところにのしかかってくる現実。もう限界という気持ちが痛いほど伝わってきました。
 「ネット環境さえ整っていればどこでもいい」と、Aさんは明るく楽観的。妻の思いを伝えるべきか否か悩む私は、何度も救われました。しかし、病に対する不安は想像を超え、強く生きる意欲につながればと面接を重ねました。主治医から許可をもらい、お菓子やカップラーメンが食べたいというAさんと、買物や、ラーメンを食べに出かけました。車椅子移乗と自操ができるようになってからは連携室に誘いに来られるようになり、自販機コーナーでコーヒーを飲みながら思いを聴きました。
 妻は週2回の休日には欠かさず来院し、「いっしょには暮らせないという気持ちに変わりはないが、夫の退院先がどこでも良いというわけではない。自由で快適に過ごせるところを探したい」と。3人で悩み、新設のサ高住に決め、オープンまでは一時的に障害者病棟のある病院で過ごすことに。65歳までは特定疾病でないと介護保険が使えません。障害者手帳の取得にも時間がかかり、先が読めない半年間でした。
 これで良かったのだろうかと自問自答をくり返す日常に、Aさんの妻からの電話はとても輝かしく、心の糧となりました。

(民医連新聞 第1741号 2021年7月19日)