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民医連新聞

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あれから10年 私の3.11 ④被災者の現状を伝える責任

宮城・つばさ薬局多賀城店 山田 知

 私は、調剤薬局につとめ始めてから10日ほどで被災しました。当時の混乱の中、自分には率先して体を動かすこと、患者の不安を和らげようと笑顔でていねいに対応することぐらいしか、できることがありませんでした。
 浸水した店舗の復旧作業や、被災した患者への対応に明け暮れ、先行きの見えない状況に不安しかない毎日でしたが、全国の民医連事業所からたくさんのメッセージが記された横断幕や、さまざまな支援物資が送られ、心身ともにささえてもらったことを思い出します。
 それから3年後の2014年、当法人のジャンボリー委員として福島県の原発事故について学ぶべく、現地を視察しました。震災から3年が経過し、宮城県内は復興へと歩み始めていましたが、福島県内、特に沿岸部は震災当時のままの光景が広がっていました。津波で押し流されたがれきはそのままに、街はゴーストタウンと化していて、何もない林道で突如ガイガーカウンター(放射線測定器)の数値が急上昇する。このような、被災当時の宮城県とは違った、異様な光景にがく然としました。
 視察後、委員同士で感想交流を行い、原発事故の問題はこれからずっと向き合っていかなければならない問題であること、また、視察で学び感じたことを伝え広めていくことが、福島の復興につながっていくということを学びました。
 その後も放射能汚染されたがれきの最終処分場の問題や、2度目の福島県視察行動など、震災と原発事故の問題に向き合う機会は多々あり、気づけば10年がたちました。この10年間で多くの被災地では、目に見える部分での復興はすすみ続け、震災による爪痕も消えつつあります。それ自体は喜ばしいことかもしれませんが、震災により心に大きな傷を負った人、いまだふるさとに帰れずにいる人、他にも助けを求めている人たちが、まだ大勢いることも忘れてはなりません。
 被災者の現状を知り、伝え広めていくことが、私たちが被災者のみなさんのためにできることの一つであると考えます。この先も被災者に微力ながら寄り添い、私たちが復興に向けてできることを考えていきたいと思います。

(民医連新聞 第1735号 2021年4月19日)

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