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民医連新聞

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介護の未来をひらく 特養あずみの里裁判をたたかって 連載(6) 事実と判断を分けて記録 職員や事業所を守るために 東京・千住介護福祉専門学校副校長 宇留野彩子さん

 全国の仲間の奮闘で「無罪」を勝ち取った特養あずみの里裁判。そのたたかいや教訓をふり返る、連載第6回は、東京の仲間・宇留野彩子さんです。

 本当に長い裁判でした。無罪の判決を知った時は、安堵(あんど)と湧き上がる喜びを職場の同僚たちとかみしめました。特養あずみの里裁判の不当性は絶対に許すことはできません。一審の長野地裁は、私たちの介護実践を否定し、利用者が生活の中でささやかな楽しみを持つことさえ誤りだ、と言わんばかりの判決を出しました。
 しかし、長野県警が山口けさえさんを起訴するまでの経緯の中に、私たち介護職員が学び直すべきことがあると気づき、いくつかの県連で「記録」についての学習会が行われました。私は、この裁判から考える記録の書き方について、講師としてともに学ぶ機会を得たので、紹介します。
 ふり返るべき点のひとつは、起きた事実と自分の判断や意見を分けて考え、記録できていたか、という点です。事実とは、ドーナツを食べていた、呼びかけに反応しない、呼吸がない、などです。これらの事実から「窒息を疑った」というのが、判断です。本来は、いきなり「窒息した」と申し送る、または記録に書くことはしません。これは特養あずみの里だけでなく、多くの介護現場で曖昧(あいまい)にされてきました。この点を見直し改善できるように、学習会では実際に記録を書く練習もしました。
 また、利用者のすばらしさが発揮されている場面も積極的に記録していこうと確認しました。地裁判決を受けて現場が萎縮すれば、積み重ねてきた民医連介護の豊かな実践がゼロになる、という危機感があったからです。私たちは、どんな利用者もその人らしい生活ができるように、介護を提供しています。適切な介護記録は、職員や事業所を守ると同時に、利用者が自分の力を発揮して生活していることの証しにもなるのです。
 学習会の参加者は熱心で、あっという間に時間が過ぎました。「山口さんは私」であり「あずみの里の職員は自分」と誰もが考えたからです。「民医連はひとつ」の信念を貫き、より良い介護の追求を誓い合う場となりました。

* * *

 災いを転じて福となす―。特養あずみの里裁判で民医連の結束がより強くなりました。今はコロナ禍でつらい毎日ですが、今日も私たちはいっしょにがんばっているのですよね。

特養あずみの里裁判とは
 2013年、おやつのドーナツを食べた入所者が急変し、のち死亡。その場にいた看護職員個人が業務上過失致死罪で起訴された、えん罪裁判。無罪を求める署名のべ73万筆余りが集まり、20年7月に東京高裁で逆転無罪。

(民医連新聞 第1733号 2021年3月15日)