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民医連新聞

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新連載 あれから10年 私の3.11 ①10年たっても思いは変わらない(宮城)

 東日本大震災から間もなく10年がたとうとしています。10年たっても、2011年3月11日のことは鮮明に覚えています。
 当時私は大学1年生で、仙台市にある大学から自宅のある石巻市へ帰る電車の中にいました。もちろん電車は止まりました。
 自宅の最寄り駅まで、電車で残り20分程度の距離で止まりましたが、一向に動く気配はありませんでした。結局、ひと晩は電車で過ごしました。ライフラインが全滅していたため、何も情報をつかむことができませんでした。自宅の状況がどうなっているのか、家族や友だちは無事なのか、とても不安だったことを覚えています。
 それから4日間かけて徒歩やバス、知らない人のトラックの荷台や自家用車に乗せてもらって、なんとか自宅まで向かうことができました。
 両親、姉とは無事に再会できましたが、小さい時からかわいがってくれていた母方の祖父母を亡くしました。家族の大切さ、いつ何が起こるかわからないということを痛感し、残された家族とともに10年間過ごしてきました。当時80代でもいたって健康だった祖父母との突然のお別れは、とても悲しいものでした。どれだけ怖かったのだろうと考えると、胸が苦しくなります。今でも実家に帰ると「あの震災がなければ今も生きていただろうね」と母とよく話しています。
 10年と節目のように言われることもありますが、東日本大震災により人生が大きく変わってしまった人びとにとっては、これまでも、これからも、それぞれの思いは変わることはありません。ひとりひとりの声に耳を傾けていくことが大切です。
 二度とあのような経験はしたくありませんが、日本は地震大国なので、地震・津波の発生は防ぐことはできないと思います。先日も宮城県、福島県で震度6強の地震があり、多くの人が当時を思い出してしまったと思います。
 いかに被害を小さくするのか、地震・津波が起きた時にどこへ避難するのか。地域、職場、家族間で確認しておくことが大切だと思います。震災では、あまりにも多すぎるものをなくしてしまいましたが、多くの人に励まされ、助け合い、人の温かさを感じたことも確かです。
 今あるいのちに感謝しながら、いつも自分をささえてくれている身の回りの人たちを大切にして、1日1日を大切に生きていきたいと思っています。

(民医連新聞 第1732号 2021年3月1日)

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