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民医連新聞

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介護の未来をひらく 特養あずみの里裁判をたたかって 連載(4) ケアで結ばれる看護と介護は人間らしく生きる権利守るチーム 看護学者・川嶋みどりさん

 全国の仲間の奮闘で「無罪」を勝ち取った特養あずみの里裁判。そのたたかいや教訓をふり返る、連載第4回は、看護学者の川嶋みどりさんです。

 逆転無罪判決の結果も、賛同者とともに上告断念の要請を発信したのも、コロナ禍ゆえのオンライン上でしたが、あまりにも長く続いた裁判でしたので無罪確定の喜びはひとしおでした。
 県警のずさんな捜査で、おやつの時間帯での「急変」を「事件」に仕立て、なかったこと(窒息)をあったことにして、山口けさえさんを被疑者にして起訴し、裁判に持ち込んだ不当性。その怒りを忘れてはならないと思います。判決を待つまでもなく、この裁判がこれからの介護を萎縮させるのではないかとの危惧もありました。一方、看護・介護のあり方への示唆を提起した側面もありました。

■ 「口から食べる」 に一筋の光

 たとえ加齢により心身機能が衰えても、人間であり続ける限り「尊厳を保ちながら自分らしく生きたい」との願いは誰もが共通だと思います。それを実現するのが看護・介護の専門性のよりどころでもあるのです。その過程で患者・利用者の安全を守る努力は、看護・介護従事者の当然の責務でもあります。しかし、どんなに注意を払っていても、ケアの途上で事故や急変が起きることは珍しいことではありません。
 とりわけ高齢者の日々の暮らしは、常にリスクと隣り合わせと言ってもよく、ふとした弾みでつまずいたり転んだり、食事中にむせたりすることもしばしばです。だからといって行動の範囲を狭めたり抑制することは、フレイルに通じるだけではなく、「安全」の名で人間らしく生きる権利を奪いかねません。
 特養の場合、治療最優先の病院とはちがって、少々のリスクを承知の上で変化に富んだ日課を柔軟にとりいれることが、利用者のQOLの向上に役立ちます。例えば、特養あずみの里では「お楽しみの日」をもうけて、栄養的な配分よりも見た目の美しさや嗜好(しこう)に合わせた食事で、至福を味わう1日にしていました。
 控訴審での判決が画期的であったのは、おやつを含めて口から食べることが、人間の生きる意味にとって極めて重要であることへの認識を示した点です。その上で、その人の身体的リスクに応じた食物摂取の有用性に加えて、「窒息の危険性があるからと言ってその食品の提供を禁じるものではない」と判断したことです。
 これは、丸のみや早食い癖のあるAさんに、山口さんがゼリーではなくドーナツを配ったことを “おやつ形態確認義務違反”により窒息させたとして、有罪にした第一審の判決を覆すことになりました。何と言っても今後の介護のありように一筋の光をもたらしたことは確かです。

■新たな発想で協業を

 特養でのもろもろが一般的に「医療モデル」に傾きがちなのは、その厳しい入居条件から来ているようです。同時に、「看護と介護」を「医療と生活」に分けて考えられがちですが、両者は「ケア」で結ばれています。暮らし目線と利用者の立場を尊重し、「誰が何をするか」ではなく「何をどのようにするか」について情報を共有し、協業していくことが求められていると思います。
 この裁判を契機にして、看護・介護従事者の相互理解とチームワークのあり方を、新たな発想で追求すべきではないでしょうか。

特養あずみの里裁判とは
 2013年、おやつのドーナツを食べた入所者が急変し、のち死亡。その場にいた看護職員個人が業務上過失致死罪で起訴された、えん罪裁判。無罪を求める署名のべ73万筆余りが集まり、20年7月に東京高裁で逆転無罪。

(民医連新聞 第1730号 2021年2月1日)