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民医連新聞

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診察室から 病といっしょでも幸せに

 2017年に「患者の意向を尊重した意思決定のための研修会」に参加後、院内のアドバンス・ケア・プラニング(ACP)や臨床倫理委員会に携わるようになりました。職員向けのACP講習会を行い、臨床倫理委員会の委員になり、先日は研修医対象の講座で臨床倫理学を取り上げました。一介の医師である私に、このような役割をもらえることを光栄に感じると同時に、自分自身の興味・関心をふり返るとそのような選択をしてきた結果のようにも思えます。
 医学部をめざして予備校に通っている時、受験科目として採用している大学が少ないことも調べず、興味があるという理由だけで倫理学を選択しました。西洋・東洋哲学、そして近代哲学まで、先人の考えた生き方の規範を知ることができました。また、現在宗教として位置づけられているものも、もともとは哲学的な疑問、人のあり方を模索している点では哲学の一種なのだと理解しました。
 哲学・倫理に興味があった理由をさかのぼると、私が育った環境に行き着きます。父は医師。母は看護師でありながら私が物心ついた頃にはリウマチを患っていました。病気であることは悪ではなくその人を形成する個性の一つ、という感覚が自然に培われました。
 その点で「病気を診る」医師とは、自然と立ち居振る舞いが違うのかもしれません。私にしかできない医療、なんてものは危ういだけですが、「患者家族」を経験した医師だからこそ、「治す」だけではなく「病といっしょでも幸せになる過ごし方」を患者といっしょに考えていけるのではないか。病気と緩やかに共存しつつ、いずれやって来る死を穏やかに迎えられるような心持ちになれれば、世の中の不幸の全体量が少しは減るのではないか。そんなふうに思いながら日常診療を行っています。
 そんな思いを的確に表現してくれている、フランスの哲学者モンターニュの言葉を紹介して終わりたいと思います。「私たちは死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している」(比嘉研、群馬・利根中央病院)

(民医連新聞 第1725号 2020年11月2日)

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