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民医連新聞

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連載 学ぼう 運動方針② 戦後75年の夏 戦争の記憶を伝え平和の波を起こそう

 学ぼう運動方針―。シリーズ2回目は民医連の反核・平和のとりくみです。44期運動方針では、被爆75年を迎える今年を、核兵器廃絶という被爆者の悲願の実現への「大きな山場」と位置づけています。新型コロナウイルス感染症の世界的感染拡大により、予定されていた原水爆禁止世界大会inニューヨークは中止され、広島と長崎での世界大会もオンラインでの開催が予定されています。しかし各地では今年も、核兵器廃絶や戦争体験を語り継ぐとりくみなど、工夫を凝らし行われています。(丸山いぶき記者)

仲間とともに戦争の実相学び、語り継ぐ

 広島民医連は毎年、戦争と被爆の実相、それをもたらした日本の加害の歴史も学び、自ら語り継げるようになろうと、平和ゼミナールを開いています。

 今年1月29日、広島医療生協「虹の会館」では、第8期平和ゼミナールの受講生11人が、これまでの学びをまとめる卒業制作にとりくんでいました。受講生は昨年6月から半年間、毎月講座に参加して戦争と平和についての学びを深めてきました(第8期の日程は下表)。

■初めて知った加害の事実

 開講式では、県連の藤原秀文副会長が「歴史を学び、現場を訪れて知識を身につけてほしい。そうすることで、飛び交うフェイクニュースに惑わされず、平和や憲法9条の考え方も身につけることができる。平和でなければ健康はつくれないことをおさえて、とりくんでほしい」と語りました。
 第5講座では、旧日本軍の毒ガス兵器製造の拠点となった大久野島(広島県竹原市)を訪れました。「日本の戦争加害者としての側面を初めて知り、心に残った」と語ってくれたのは、受講生の嘉村美香さん(事務)。大久野島は、現在は、自然豊かな野ウサギの生息地として有名です。講座では、毒ガス製造の歴史を伝える資料館建設や戦争遺構の保存に、数々の障壁があったことも学びました。「もしこれらが壊されていたら、中国や朝鮮の人たちを毒ガス兵器で虐殺した加害の事実は、なかったものにされて、ただのどかな観光地になっていた。残し伝えていく大切さを知った」と嘉村さん。

■伝える難しさも知る

 広島民医連の平和ゼミナールは、2012年に始まりました。平和ゼミ終盤には毎年、学んだ事実を自らの言葉で伝えるピースナビに挑戦します。第8期までで66人が卒業しました。卒業生はピースナビや平和ゼミの講師としても活躍しています。2018年2月の全日本民医連第43回定期総会後のオプショナルツアーとして、参加者に広島平和記念公園を案内したのも、卒業生たちでした。
 「平和ゼミのモデルにしたのは、神奈川民医連の“平和学校”です」と話すのは、運営委員長の平井充晴さん(事務)。平和ゼミの立ち上げメンバーで、第4期卒業生でもあります。ピースナビを取り入れたのも、2003年の民医連全国青年ジャンボリーで、沖縄の青年職員が戦跡巡りの案内役を務める姿を見て、「私たちも広島の戦跡を案内できるようになりたい」と感動したのがきっかけでした。
 受講生らは「それまではどこか受け身で他人事だったけど、ピースナビの実践で目が覚めた」「聞く人の心に残るように伝える難しさを感じた」と話していました。

■仲間がいたから

 受講生は所属法人や職種、年齢、民医連歴もさまざまです。送り出す側にも意識を持ってもらおうと職責者も対象です。8期生には親子ほど年の離れたメンバーもいます。
 半年をふり返る受講生からは「こんなに仲良くなるなんて」「毎月が楽しみじゃったよ」との声が口々に聞かれました。「凄惨な沖縄戦の現場などは、心がしんどくなってしまい、直視できないこともあった。でも、『それでも大丈夫』とささえてくれるメンバーがいたから、私にできる範囲で学ぶことができた」と河野祐未さん(保育士)。力石光さん(事務)は、「後輩にもぜひ自分の目で見て、感じてきてほしい。民医連は社保・平和学習など、法人や職種を超えた、ほかではできない学びの機会が多い。ちょっと勇気を出して、参加に手をあげてみてほしい」と話していました。

* * *

 第9期平和ゼミナールは、コロナ禍の影響で例年よりひと月遅れの7月から開始します。感染予防の観点から、沖縄視察を山口県にある米軍岩国基地に変更しました。沖縄での現地学習は安全に移動できるようになったのち、卒業研修に位置づける予定です。


機関紙担当者に聞く 戦争体験、戦跡を伝え残す平和へのとりくみ

 全国の法人や共同組織の機関紙では、地元の戦争体験者の証言を残す連載など、戦争を伝えるとりくみが行われています。編集担当者に聞きました。

証言者探しは年々難しく でも、いま残しておかないと

神奈川 「川崎医療生協」編集委員長 城谷創一さん

 神奈川・川崎医療生協の機関紙「川崎医療生協」(月刊)では、7年ほど前から毎号「私の戦争体験伝えたい思い」を連載しており、7月号で73回を数えます。
 私たちが住む川崎市でもかつて、川崎大空襲という米軍による無差別爆撃があり、市の中心部は焼け野原となり、多くの人が犠牲になりました。また、旧満州からの引き揚げ者も多い地域です。そうした証言には、「当時を思い出した」「私も体験を話したい」という読者の声もありました。
 戦後75年を目前に、執筆者を探すことは難しくなっています。連載終了を検討したこともありました。しかし体験談は、生活の中に戦争があったことを実感できるとても大切な記録です。「証言が難しくなっている今こそ、残しておかないと!」との思いで、毎月、生協支部6地区を順番にあたり執筆者を探し、時には担当者が聞き取り、連載を続けています。
 平和とは、戦争に限らず、貧困や格差、差別、環境など、それを脅かすものに立ち向かってこそ得られるものだと思います。

身近にある加害の歴史 民医連綱領をもとに発信

東京・健生会 「健康のいずみ」広報委員 羽田邦雄さん

 東京・健生会の広報紙「健康のいずみ」(月刊)では「てくてく三多摩戦跡ウォーク」を連載しています。戦跡の写真集を参考に広報委員が三多摩地域にある戦跡を取材し、これまで12回掲載。最近は、電波兵器や生物兵器の研究開発、経済戦のための偽札製造が行われた、旧日本陸軍最大の研究施設の登戸研究所(明治大学生田キャンパス内)を紹介しました。
 連載のきっかけは、友の会の新聞で数回載せた身近な戦跡紹介の記事。読者からの評判が良く、「子どもにも見せて伝えたい」など、大きな反響がありました。「健康のいずみ」でも、平和のとりくみの一環として、身近な戦跡から戦争の悲惨さや加害者としての戦争の実相を伝えようと、2018年2月に連載を開始。「連載したすべての記事のコピーがほしい」と問い合わせがあるなど人気の企画です。読者に呼びかけて2回の現地視察も行いました。
 かつて軍都と言われた立川市。戦前は陸軍立川飛行場、戦後、米軍立川基地となった跡地に当法人の立川相互病院はあります。新病院建設中には地中から手榴弾などが出てきました。米軍立川基地の拡張反対闘争(砂川闘争)の歴史もあります。こうした歴史を若い職員にも伝えたいと、連載の1回目は、空襲犠牲者を供養するために建立された山中坂地蔵堂(立川市富士見町)を取り上げました。
 民医連綱領をもとに平和と民主主義の実現を掲げて、地域で活動する医療機関として、時代とともに埋もれていく戦跡や体験談を掘り起こし、発信していくことも私たちの大切な役割だと考えます。

(民医連新聞 第1717号 2020年7月6日)