リレートーク 私と被爆75年(1) 長崎・上戸町病院 外来・訪問リハビリテーション課理学療法士 的野昌志さん
今年は被爆75年。そこで今号からリレートークで、反核・平和運動を行う全国の仲間に各地のとりくみや思いを聞きました。核兵器のない世界をつくるために私たちにできることは? 1回目は長崎の的野昌志さんです。
被爆地長崎に生まれながら、民医連職員になるまで平和の問題に触れる機会があまりありませんでした。2018年7月に長崎民医連などが主催した「平和の行動(佐世保FW)」に家族と参加し、2019年11月には日本平和大会in沖縄に参加しました。沖縄をはじめ、米軍基地と隣り合わせの住民が置かれている現状を知り、怒りが込み上げてきました。この肌で感じた怒りを世界に発信しなければと思い、本格的に平和運動にとりくむようになりました。
世界大会inニューヨークへの参加が決まり「核兵器をなくしたい」という被爆者の願いを届けるため、「ヒバクシャ国際署名1000筆」を目標に昨年12月から署名活動を始めました。常に署名用紙を持ち歩き、今年2月に1000筆を達成。現在も継続中です。
平和を祈るだけでは世界は変わりません。核兵器をめぐる世界の現状や、核兵器廃絶のために世界でどのような活動が行われているのかを学び、自分は何をすればいいのかを考えていく必要があります。地域のことを知る努力もその1つです。住み慣れた地域で、誰もが安心して暮らすことのできるまちづくりは平和に直結しており、医療従事者として平和運動を推進していくことは自然なことだと思います。
今年は被爆75年。被爆者の平均年齢は82歳を超えています。私たちの世代が被爆の実相を伝える運動を継承しなければなりません。ヒバクシャ国際署名を継続する中で、核兵器の恐ろしさを伝え、平和や地球環境について語り合い、職員や共同組織の仲間といっしょに1日も早い核兵器禁止条約の発効をめざしてこれからも平和を訴えていきます。
ひとりひとりの力は小さいかもしれませんが、多くの賛同が平和を守る礎(いしずえ)となります。“核兵器では人びとの安全は守れません。核兵器のない平和な世界をいっしょにつくっていきましょう!!”
(民医連新聞 第1713号 2020年4月6日)