第9回全日本民医連認知症懇話会in岡山 当事者とともに考える認知症の医療と介護、まちづくり 実行委員長 藤田文博 (岡山ひだまりの里病院院長)
9月27~28日、第9回全日本民医連認知症懇話会を岡山で開催しました。認知症懇話会は全日本民医連の自主研究会の一つで、民医連らしい認知症の医療と介護のあり方を探る貴重な交流と研さんの場として2008年から継続開催しています。今集会の概要と特徴について、実行委員長で岡山ひだまりの里病院長の藤田文博さんの報告です。
今集会は、参加者482人の盛会となりました。これだけ多くの人が参加したことは、認知症に対する関心の高さの現れであり、認知症へのとりくみが喫緊の課題であることを示すものです。何よりもまず、そのことを強く実感する集会となりました。
めざすのは普通の暮らし
1日目は、岡山県連各事業所からの報告、講演と分科会を行いました。県内各事業所での認知症へのとりくみの紹介映像は好評でした。
続いて三喜株式会社「ぶどうの家」代表の津田由起子さんが講演。「目の前のその人をささえる。在宅にこだわる」の理念にもとづき、1996年に倉敷市で「ぶどうの家」を立ち上げました。講演の中で、めざすケアとして「つなぐ・切らない・うばわない」「希薄になっていく本人と家族・友人との関係を切らない、環境をつなぎとめる」をあげ、あえてバリアを残すなど、普通の暮らし、普通の感覚を大切にしているケアの実践が語られました。その姿勢は、昨年の西日本豪雨災害で、真備町の小規模多機能施設が水没した際にも貫かれており、利用者を第一に考え、在宅支援を続けてきました。災害時の支援のあり方を考える、すばらしい講演でした。
7会場に分かれて行われた分科会では、口演78、ポスター76、計154演題が発表されました。どれも力のこもった内容で、認知症ケアチームや認知症カフェ、病院や施設での安全と尊厳を守る医療・ケアの工夫、歯科からの報告など、多彩な内容でした。
認知症の当事者から学ぶ
今回の懇話会は、民医連職員だけでなく、共同組織や当事者、その家族も参加対象としました。懇話会の大きなテーマは「認知症の医療や介護、まちづくりについて、認知症の人をサポートする側だけで考えるのではなく、本人の立場や目線で考えていく」ことにありました。
2日目は3人の認知症当事者による座談会を行いました。その中で、藤田和子さんがまさにそのことを話してくれました。「医療やケアのみなさんは、何でも自分たちだけで考え、決めようとする。でも、そうじゃなくて、本人の意見をたくさん聞いてほしい」。これは登壇した当事者3人に共通したメッセージでした。
認知症の人はわからない人たちだから、われわれが考えなければならない、ケアしなければならない、という強迫観念のようなものが、知らず知らずのうちに身についています。私もそうです。でも、それが、認知症の人の力を奪っている可能性があります。
尊厳を守る支援とは
座談会では、日本認知症本人ワーキンググループの「認知症とともに生きる希望宣言」が紹介されました。一部を紹介します。
「『認知症とともに生きる希望宣言』は、わたしたち認知症とともに暮らす本人一人ひとりが、体験と思いを言葉にし、それらを寄せ合い、重ね合わせる中で、生まれたものです。今とこれからを生きていくために、一人でも多くの人に一緒に宣言をしてほしいと思っています。この希望宣言が、さざなみのように広がり、希望の日々に向けた大きなうねりになっていくことをこころから願っています」
竹内裕さんは認知症を生きる工夫として、タンスをやめてウオーク・イン・クローゼットにして、見てすぐわかるようにしたり、銀行でも郵便局でも担当者を一人に決めること、必要なものを透明なケースに入れて持ち歩くと探さなくてすむことなどを紹介しました。全てを自分でやろうとせず、周りに頼れる人間関係を持つことの大切さを語りました。
また、樋口直美さんは「認知症のことを『認知』と隠語のように呼ばないでほしい」「指示が入らない、という言葉も不適切です。犬じゃないんです」と医療・ケア従事者の言葉が当事者を傷つけていることを話しました。今回の座談会のタイトルは、「認知症とともに生きる~尊厳が守られるケア・まちづくりへ向けて~」でした。認知症の人の尊厳を守ることがどういうことか、当事者の生の言葉から学んだ瞬間でした。
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感想文では、「認知症の人とともに生きていくことを深く学んだ」「今回は参加だけだったが次回は演題発表したい」などの声が寄せられ、たいへん有意義な集会になりました。
(民医連新聞 第1704号 2019年11月18日)