被災地に足を運び住人のニーズを掘り起こす 台風19号訪問支援行動
10月12~13日に日本列島を通過した台風19号は、東日本と東北地方を中心に広い地域で記録的な大雨をもたらしました。1都12県で大雨特別警報が発表され、20水系71河川140箇所で堤防が決壊し、甚大な被害が出ています。被災から1週間たった宮城と長野を訪ねました(被害状況はすべて10月28日現在)。
1週間経っても同じ状態 迅速な行政の対応を求める
宮城民医連
■全部屋浸水でも仮設入れず
台風19号の影響で、宮城県では死者19人、行方不明者2人、負傷者39人。床上浸水2289棟、床下浸水1万1926棟となっています。吉田川が決壊した大郷町でも甚大な被害が出ています。
松島海岸診療所の木村真由美さん(看護師)の実家は吉田川から数百メートル。同じ地域の12棟全てが床上浸水の被害を受けました。平屋の家には泥が入り家族や親戚、息子の友だちなど15人ほどで畳をはがしたり、ゴミを分別していました。「浸水して使えないものや、流れ着いたゴミの処分に困っている」と木村さん。「ゴミの集積所は長蛇の列で、捨てるまでに1~2時間かかる。時間も決められていて1日2回しか出せない」と話します。
平屋で全ての部屋が浸水したにもかかわらず、仮設住宅には入れないと言われたといいます。「隣の作業場の中2階で生活するしかない。でも天井はなく直接屋根の構造。これから寒くなるので体調面も心配」と木村さん。母親は「でも冷たい床の避難所よりはまだまし。今は娘の家に住まわせてもらっているが、あまり寝られていない」と話します。木村さんは「行政の対応が遅くいつまで経っても同じ状態」といいます。
同診療所の菊池利枝さん(看護師)の自宅は無事だったものの、倉庫と吉田川付近のビニールハウスと畑に被害を受けました。ハウスに植えていた小松菜などの野菜は20cmほど泥で埋まり、泥に足をとられ中に入れず収穫もできません。畑のニンジンやネギも出荷できない状態です。「コメは保険で収入の7割ほど補償されるが、野菜の保険は期待できない。ハウスの泥が乾くまで3週間ほどかかりそうで中にも入れず、収入も見込めない」と話します。近くの田んぼには、どこからか流されてきた船もありました。
■対応の差に非難の声も
15日に開設した大郷町の避難所では、34世帯94人が避難生活を強いられています。避難所以外にも親戚の家に避難する世帯や、介護福祉施設への入所を希望する人もいます。しかし、もともとショートステイはどこもいっぱいな上、今回の災害により場所も選べない状況です。
避難所は世帯ごとに段ボールで仕切られており、体が不自由な人から優先的に段ボールベッドが配られました。災害支援看護師やトイレの近くになるように配置しています。「段ボールベッドの評判はいいけれど、高齢者だけで組み立てるのは大変。隣接する市の避難所では段ボールベッドがなく、『うちはなぜないのか』と非難の声もあるようだ」と大郷町役場の職員は話します。支援物資やボランティアは集まっている一方、衛生面では不安もあります。役場の職員は「感染症の隔離スペースがあればいいけれど、確保ができていない」と心配しています。ゴミや住居の問題、市町村の対応の違いなど課題は山積みです。(代田夏未記者)
型付け、泥出し、地域訪問 職員が懸命に支援を開始
長野医療生協
10月13日早朝に発生した堤防の決壊、越水で、千曲川流域が広範に浸水した長野県では、死者4人、行方不明者1人、負傷者133人、床上浸水4428棟、床下浸水4419棟などの被害が出ています。
長野医療生協は19日、浸水被害を受けた職員と組合員宅の片付けと泥出し、看護師による地域訪問を実施。発災から1週間、初めての組織的な支援活動に県内外から午前・午後のべ105人が参加しました。
■被災ストレスや汚水も心配
看護師11人は3組に分かれ、豊野地区で訪問活動をしました。
同地区は高齢独居や夫婦2人世帯が多く、被災後の孤立を心配する声が上がった地域。住民は砂塵が舞う中、ボランティアの手を借り、浸水した家を片付けていました。下水処理施設も浸水し、マンホールからは汚水が噴き出し、悪臭が漂っていました。この地域は過去の水害の経験から、1メートル以上かさ上げした家も少なくありません。それでも今回、多くの家が2階まで浸水しました。
作業する住民に、「体調は大丈夫ですか」「薬はありますか」「夜は眠れていますか」と声をかけて回ったのは、訪問看護ステーションながのの宮澤康江さん、野本光子さん、岡田尚美さん。中には、直後の片付けを素手で行い、手や腕、顔、頭部にまで発疹が出ている男性もいました。岡田さんは、「まずは清潔が一番。早めに受診して」と、診療している近くの医療機関を紹介し、医療費免除や、り災証明書の発行について書かれたチラシを渡しました。
組合員の村松和子さん(67歳)は、「こんなこともしてくれるのね」と訪問に笑顔を見せながら、夫の親戚宅に身を寄せる避難生活のストレスを吐き出しました。はじめは「大丈夫」と気丈に応える住民からも、被災状況や家族の体調を聞き取るうち、次々とつらい胸のうちや要望が語られます。「本当は聞いてほしいんでしょうね」と宮澤さん。野本さんは「心配してくれてうれしい、と涙する84歳のおばあちゃんもいました」と話します。3人は、1時間半で13軒を訪問しました。
■職員が現地でつかんだ実態
流れ込んできた重い角材の搬出や、仮設トイレの設置希望の声は、近くでボランティア対応をしていた市の職員と、市議会議員にも相談し、直ちに対応してもらいました。別の組はリハビリパンツが足りないとの声を本部に持ち帰り、当日、別動隊が届けました。
事務職員も奮闘。「初めての経験で、僕らに何ができるんだろうと途方に暮れるような被災状況です」と話すのは、泥出し支援をした多澤弘貴さん。この日は7軒に分かれ、片付けや軽トラックでのゴミ出しをしました。寺澤由弘さんは「少し離れれば全く被害のない地域がある。世間との乖離に、自分ならメンタルをやられる」と話します。「若い世代も大勢被災していて、SNSで発信しています。地域を超えてやれることをやりたい」と和田三菜美さん。
■支援にはたたかいも必要
長野医療生協は13日午前7時半に対策本部を設置。長野中央病院は、浸水地域に近い介護老人保健施設ふるさとの入所者16人と、DMATの要請で県立リハ病院の入院患者を受け入れました。14日は、医労連を通じて要請があった療養型施設(旧豊野病院)に労組幹部がボートで物資を届け、長野中央病院は転院20人を受け入れました。17日には幹部が浸水地域を視察し、医療生協の支部運営委員から情報を集め、支援活動を準備。浸水被害を受けたり、避難した職員は約30人います。
避難所で医療支援ができないか、16日に保健所長と懇談しましたが、「医療ニーズは縮小している」との回答でした。「具体的に要求しないと対応してもらえない。これがたたかいと対応の“たたかい”か、と思いました」と近藤友子統括看護部長。ニーズの掘り起こし、感染症対策、トイレなど避難所環境の改善も課題で、引き続きアプローチしています。
医局では、最低でも1人1回は現地支援に行こうと意思統一しました。「被災地域とそれ以外の温度差が大きく、職員間でも思いの共有に工夫が必要。人ごとにしない支援を続けます」と本荘善規常務。対策本部長の菅田敏夫理事長は、「今は気が張っている被災者、支援者の健康も今後心配。できることを何でもやっていこうと考えています」と話しました。(丸山いぶき記者)
県内各地で健康相談、給水支援も
福島民医連
福島県では死者が30人となり最多です。福島民医連の各事業所で懸命の支援活動が続いています。
郡山医療生協は、阿武隈川の氾濫で浸水被害の大きかった地域の組合員を職員と組合員とともに訪問しました。「水に浸かったゴミを出すのが大変」「高齢者には避難所生活は負担が大きい」などの声が出ました。支援物資としてマスクやタオル、防寒着などが喜ばれ、市の「各種支援制度」リーフを渡すと「知らなかった。周知してほしい」と要望がありました。
福島医療生協は台風の翌日から理事が組合員の安否確認を開始。「高齢の組合員が困っている」との情報で職員が向かうと、ストレスと疲労で体調を崩した組合員がおり、わたり病院に緊急入院しました。断水の続く地域への給水支援やゴミの片付け、話し相手、健康相談もすすめています。
浜通り医療生協も台風翌日から組合員訪問、片付けボランティアを開始。断水の続く地域には大きなタンクをトラックに載せ給水支援をしています。健康まつりを中止した20日には300個のおにぎりをつくり、届けました。組合員が提供してくれた軽トラ数台も片付けに大活躍。今後は行政とも連携して支援を続けます。(各医療生協のニュースより)
(民医連新聞 第1703号 2019年11月4日)