評議員会講演から 地域に求められる民医連とは? 佛教大学社会福祉学部教授 岡﨑祐司さん
第3回評議員会の1日目の夜、岡﨑祐司さん(佛教大学社会福祉学部教授)を講師に「地域を起点・基点とした社会保障運動とまちづくり―民医連に期待されていること」と題した講演会を行いました。概要を紹介します。
(代田夏未記者)
利益優先の安倍政権のもと、地域では格差と困難が深刻化しています。また、新自由主義的な地方分権改革、社会保障改革が行われ、地域は衰退しています。その中で、民医連はどう考え、地域とつながるべきでしょうか?
■自己責任の集団化
地域と社会保障を考えるとき、どのような地域をつくりたいでしょうか? それは「“わたし”が“わたし”として暮らせる地域」ではないでしょうか。まず、この要求を鮮明にすることが重要です。
社会保障制度、社会福祉制度を地域住民に届ける責任は、国や地方自治体にあります。憲法でも国と地方自治体の連続分担の責任が求められています。
しかし、国はその責任を地域に押しつけ、行政がやるべきことを住民が代わりに担う“互助”をすすめています。これは「自己責任の集団化」とも言えます。
失業、病気、低所得など、生活する中で起こりうる数々の困難は「生活問題」と呼ばれ、誰もが直面する問題です。そこには“共通性”があり、その背景には必ず、今の社会政策の矛盾があります。これは個人や住民同士の助け合いによる“自助”や“互助”だけでは解決できない問題です。
この解決のために政策責任を追及し、改革を転換させる運動が必要です。その時大事になるのは「生活問題」を憲法13条や25条の侵害としてみる視点です。
また、国がすすめる医療費削減を目的とした地域医療構想は、レセプトデータの実績を根拠としているため、本当のニーズを把握できません。受診したくてもできない人の声が反映されていないからです。その点で民医連の手遅れ死亡事例調査などは重要です。
■地域と共同できる力で
国は自助・互助・共助の「地域包括ケアシステム」をすすめています。しかし、地域包括ケアは地域だけではささえられません。
本来は生活者を中心にして、生活の中に医療や生活のケアを取り入れることが必要です。それは生活全体を把握することが必要だからです。そのために、専門的に分析し、総合的に理解をする医科・歯科が、地域包括ケアの中核になります。民医連の役割はここでも求められています。統合的にその人の生活をささえるためには、医療・介護・福祉の多職種がケアの目標を共有し連携しなければなりません。
自治体がどう医療連携をつくるのか、都道府県がどう医療行政をつくるのか、国がどう社会保障をつくるのか、責任を曖昧にしてはいけません。今、公務員バッシングなど、自治体の職員は萎縮しやすくなり、民間による多様なサービスの提供体制は整ってきています。単に「行政ではできないから」と民間で行うのではなく、行政への監視と批判的協力者の機能を持ちながら、住民と共同できる事業を担うことが民医連に求められています。
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そこで、市民活動、運動として福祉活動を行いましょう。地域が民医連に求めている役割は、地域の福祉を充実する活動や、市民の活動を“地域の共同”の対応任せにするのではなく、行政や専門機関の社会権(生存権)を守る対応につなげることです。また、共同組織とともに、(1)困難を抱えたときに自己責任にさせない、(2)学習の組織化をはかる、(3)地域の社会問題を発見し、ニーズを掘り起こして社会に提起する、(4)内向きの閉じられた共同ではなく開かれた助け合いを行うことです。
社会問題を意識して地域活動を発展させましょう。
(民医連新聞 第1699号 2019年9月2日)