あずみの里裁判 舞台は高裁へ 必ず無罪の扉を開けよう
6月25日、東京都内で特別養護老人ホームあずみの里裁判学習会を開き、113人が参加しました(主催‥特養あずみの里業務上過失致死事件裁判で無罪を勝ち取る会、あずみの里控訴審裁判支援中央連絡会)。3月に出された有罪という不当判決に対して、今後どうたたかうのか、学習会の内容を紹介します。(丸山いぶき記者)
2013年12月、長野・特別養護老人ホームあずみの里で、おやつのドーナツを食べた入所者(85歳、女性)が意識を失い、1カ月後に亡くなりました。翌年12月、当時、隣で別の入所者を介助していた看護職員が、業務上過失致死罪で起訴されました。
全日本民医連は、この裁判を介護の未来がかかった全国的課題と位置づけ支援。無罪を勝ち取る会の署名活動に協力し、同会は3月までに44万5532筆を裁判所に提出しました。しかし、長野地方裁判所は今年3月25日、検察の求刑通り罰金20万円の不当な有罪判決を言い渡しました。弁護団は即日控訴。たたかいは今後、東京高等裁判所に移ります。
学習会の開会あいさつで、全日本民医連の岸本啓介事務局長は、「法廷で判決を聞いた時は、しばらく意識が遠のいた」と、まさかの有罪判決の衝撃を語りました。一方、マスコミの多くが判決に批判的と指摘。「地裁判決を国民的な批判にさらし、高裁のたたかいへ。看護職員とともに、法廷の外でも署名を集め、必ず無実の扉をこじ開けよう」と訴えました。
■介護を崩壊させる判決
続いて、控訴審で主任弁護人を務める藤井篤弁護士が、「裁判の経過と一審判決について」と題して報告しました。「当初、私が抱いた大きな違和感は、なぜ介護の現場で献身的に働くいち看護職員が“刑事責任”を問われるのか、ということ」と藤井さん。介護事故を「犯罪」として裁くことへの疑問は、ごく常識的な感覚として報道各社も「例がない」と発信。検察と裁判所は、この当たり前とは違う判決を導きました。
検察の起訴状は、死亡した女性には食べものを口に詰め込む特癖があり、隣にいた看護職員には注視する義務があったのに、それを怠り、窒息により死亡させた、というもの。「当該看護職員を起訴したのは、たまたま隣にいたから。弁護団の調べで、亡くなった女性以上に注視すべき人が周りにいた実態が明らかになると、検察は犯罪の具体的事実である訴因を変更した」と藤井さん。その内容は、看護職員がゼリーを配らなければいけないのに、ドーナツを配ったことが、おやつの形態確認義務違反だ、というものです。
裁判の争点は、(1)死亡女性はドーナツを詰まらせ窒息したのか、(2)看護職員に注視義務違反があるか、(3)おやつ形態確認義務違反があるか、でした。弁護団は、看護学者の川嶋みどりさん、摂食嚥下専門の福村直毅医師の強力な証言も得ながら、争いました。しかし、判決は(1)死因はドーナツ摂取による窒息と認め、(2)は認めず、(3)看護職員にはおやつの形態確認義務違反があった、としました。
質疑では、異変後の初動についての声も。藤井さんは、「当初、職員はみな窒息による死亡と思い込み、異変後もそれを前提に振り返りを行った。その記録が全て、警察や検察に都合よく利用された」と話しました。
「判決を受けておやつの提供をやめた施設もある」と、現実に起きた現場の萎縮も紹介。「これが有罪なら介護現場は崩壊する。それを許さない国民的な世論をつくりましょう」と訴えました。
■8月末までに新署名45万筆を
連帯あいさつには、看護学博士の宮子あずささん(別項)、東京民医連の及川正彦さんなど3人が登壇。及川さんは、「たたかいの場が東京高裁に移る以上、これからは東京も現地。(1)裁判の中身の学習、(2)他団体への支援の申し入れ、(3)新しい署名を広げ、(4)裁判の傍聴支援、(5)無罪を勝ち取る会への加入のとりくみをすすめ、断固無罪を勝ち取るまでたたかうことを確認した」と報告しました。
長野県民医連からは協立福祉会の塩原秀治事務局長が、「今日の集まりをひとつの結節点に、我がこととして支援を広げてほしい」と訴え、不当な有罪判決を受けた看護職員のコメントを次のように紹介しました。「判決にはがくぜんとし、同時に怒りもわき、悔しさとどうして? というさまざまな思いがめぐりました。しかし、このままでは終わらない。介護の未来のために、がんばらなければとあらためて思っています」。
無罪を勝ち取る会は今後、弁護団の控訴趣意書の提出に先立ち、8月末までに新たな署名45万筆超を、東京高等裁判所に提出することを提起。介護の未来を守るたたかいを全国ですすめましょう。
新パンフレットで学ぼう
無罪を勝ち取る会は、増補版『いま、介護の未来のために。』を発行しました。昨年10月に作成したパンフレットに、3月25日の長野地裁判決を受けて内容を追加。新聞各紙の報道記事、12万5000回以上リツイートされた、現場で働く看護師ぷろぺらさんのマンガ、宮子あずささんのコラムなども掲載しています。
(問い合わせ‥長野県民医連 0263―36―1390)
宮子あずささんに聞く
いのちと向き合う現場に 警察の介入を許してはならない
東京新聞で「本音のコラム」を連載中の宮子あずささん。現役の訪問看護師として働きながら、積極的に発言、発信。あずみの里裁判についても取り上げています。今集会での発言と、集会後のインタビューの概要を紹介します。(丸山聡子記者)
医療現場では、残念ながら民事裁判に訴えられることはあります。しかし今回、刑事裁判に訴えられた。強い恐怖感を抱いています。自分たちの行為が犯罪として訴えられる、ということだからです。
窒息のリスクがある患者さんに口からの食事を介助する場面は多くあります。リスクはあっても、本人や家族の「最期まで口から食べたい」という希望をなんとか叶えたい。どこの医療機関でも、看護・介護職員が工夫し、安全に配慮してギリギリのところでファインプレーをつなぎ、何とか食べるのをささえています。しかし、もともとリスクのある患者さんですから、結果としてファインプレーが実らない場合もあります。その時に警察が介入してくるとなれば、経口摂取のケアはできなくなります。
■振り返りが証拠になる危険
危惧しているのは、現場での「記録」「振り返り」が裁判の証拠として使われたことです。
現場でアクシデントが起きた時、私たちはそれに至る経過を振り返り、急変の原因を探り、あらゆる事態を想定して、どうやったら防げたかを議論します。そうした場では、「起きうる可能性」として「窒息」があがることは十分考えられます。可能性を最大限に広げて対策を講じることはリスクマネジメントの基本です。しかし、そうした議論の記録が証拠とされ、「可能性」としてあげられた内容をもとに、「予見できたのに対策をとらなかった」と責められてしまう。そうなれば、安心して議論することもできません。
弁護士さんが「警察や検察は取り締まることで現場が引き締まり、事故が減ると考えている」と説明していました。恐ろしいことです。個人への処罰が横行すれば、現場は萎縮し、事故をなくすための自由な議論ができなくなります。
医療・介護現場への警察の介入を安易に許してはなりません。私たちが安心して患者さんのケアをできるか、瀬戸際だと思います。
■今が岐路、心ひとつに
私の両親は病院で、誤嚥性肺炎で亡くなりました。父が入院していたのは、当時私が勤めていた病院でした。担当看護師だった後輩は傷つき、いったんは部署を離れ、研さんを積んで戻ってきました。その経験があったので、母が入院した時は私がほぼ付きっ切りで食事の介助をしました。詰まらせてしまう危険は常に抱えていました。最期はやはり食事を喉に詰まらせて亡くなりました。
現場の職員は、重篤な人、リスクの高い人と常に向き合っています。最大限の注意を払っていても、残念ながらいのちが失われることはあり、直面した職員は傷つきます。何か起こるたびに「予見できなかったやつが悪い」と個人を責めても、排除がすすむだけです。
取り締まりの横行で世の中が良くなることはありません。人や社会を良くしていくのは、人と人との信頼だけだと信じています。大きな岐路に立たされている今こそ心を一つにしていきましょう。
(民医連新聞 第1696号 2019年7月15日)