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民医連新聞

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結成65年 民医連のDNA 小さくてもキラリ☆ 栃木民医連 綱領と歴史から学び開拓者になる

 栃木民医連は、2008年に発足した一番新しい県連です。その源流には、地域の人びとの願いと、民医連の空白県克服に向けた努力がありました。挫折と困難を、全国からの支援と職員の団結で乗り越え、他の医療機関やNPOとも良好な連携関係を築いています。(丸山いぶき記者)

栃木にも民医連を 

 宇都宮の市街地から北西に車で20分、古い市営住宅が立ち並ぶ宝木団地の中にある宇都宮協立診療所は、1975年10月に誕生した栃木初の民医連事業所です。
 全47都道府県に事業所がある民医連ですが、70年当時は、栃木など9県が事業所のない「空白県」。夫の転勤で神奈川から移住してきた看護師の斉藤千恵さんは、栃木で民主診療所をつくると聞き、すすんで参加しました。「神奈川・戸塚診療所で働いていたから、当時の栃木の医療は封建的で遅れていると感じた」と振り返ります。空白県克服に県内の有志が応え医療生協を設立、診療所の初代所長は群馬民医連から赴任し、斉藤さんら5人の職員で診療を始めました。
 宝木団地は当時、働き盛りや子育て世代が集中する市内最大の新興団地で、周辺は山や田畑ばかりの医療過疎地域でもありました。「若いお母さんたちに頼りにされた」と斉藤さん。組合員だけでなく誰でも、お金のあるなしにかかわらず診る、そんな医療が信頼を集め、診療が深夜10時におよぶほど、患者も増えました。

民診の灯を消すな!

 しかし、設立6年目には大きな困難に直面しました。創立以来の赤字経営を克服できず、必要な医師確保の手だてもないままに病院化を計画し、失敗。所長の退任で常勤医師はいなくなり、累積赤字1億円超という深刻な事態に陥りました。
 斉藤さんら職員は奔走。「栃木から民診の灯を消すな!」と近県の民医連医師、地域の開業医のべ50人が支援しました。
 宮城・坂総合病院で勤務していた天谷静雄医師(当時30歳)は、栃木出身だったこともあり、妻と生後1カ月の我が子を連れて赴任しました。受診のたびに医師が変わる診療所に患者は激減。その回復のため休日返上で地域をまわり「阿修羅のごとく働いた」と天谷さん。その後、宮城から移籍し、職員一丸となり、10年かけて経営を黒字化させました。
 栃木は長らく全日本民医連直接加盟や東京民医連所属の事業所として活動。薬局法人の誕生を機に08年、2診療所、4介護事業所、1調剤薬局からなる全国46番目の県連を結成しました。
 天谷さんは、「困難に飛び込み、困難な患者に寄り添って道を切り拓き、困難な仲間には全国から支援が駆け付ける。それが民医連のDNA」と語りました。

先進例にもなれる 

 12年、栃木民医連の2診療所は無料低額診療事業を開始しました。以降、済生会宇都宮病院とは、一方が無低診を認定すれば原則もう一方も認定する、他県に例のない関係を築いています。
 済生会宇都宮病院のMSW、荻津守さんが担当した在留資格のない無低診利用のイラン人男性の事例は、全日本民医連の第43期第2回評議員会でも反響を呼びました。関東の済生会MSWでつくるプロジェクトは1月、埼玉協同病院を会場に外国人相談会を開催。子どもsunsunプロジェクトによる子どもの貧困をなくすとりくみもともに支援しています。
 「子どもの支援を通し、さらに連携が深まりました」と荻津さん。今後増えるだろう外国人労働者の事例では、「MSWの力量と組織のスタンスが問われる。彼らへの支援や無低診のあり方の問題提起で、民医連との連携をさらに強めたい。栃木はその先進例になれます」。

小さいからこそ強まる連携

 2009年、栃木民医連はそれまでめざしてきたセンター病院建設の旗をおろし、診療所と介護事業所群として、在宅医療・介護に力を入れ、家庭医、総合医養成の拠点になろう、と決めました。
 独立行政法人国立病院機構栃木医療センターとは、10年前から医師の人事交流を行っており、同センターが立ち上げた内科・総合診療プラグラムでは、協力事業所として後期研修医を受け入れています。同センターの医師らと、SDH(健康の社会的決定要因)を学ぶ学習会も共催しています。
 栃木民医連には4月、民医連の地域医療に共感したという既卒医、鈴木忠広さんが入職。6人目の常勤医師です。入職の決め手は、生協ふたば診療所・北岡吉民所長の「うちはスタッフがすごい」という言葉。「雰囲気のいい職場で、同じ方向を向く職員と大きなことができると思いました」。

■綱領学習もすすめる

 栃木保健医療生協地域活動部では、『学習ブックレット 民医連の綱領と歴史』の学習をすすめています。朝会後の約15分を使い見開き2ページを読み合わせ、感想を交流するシンプルなミニ学習会。ルールは3つ、(1)何を言ってもOK、(2)意見を否定しない、(3)先輩は後輩に教えてやるという態度はとらない、です。同部の職員5人中3人が集まれば学習会を開くことにしています。
 「入職して初めて民医連を知った」という昨年12月入職の沼尾里砂湖さんも、民医連に感動して他院から転職してきたベテランの看護師・川俣美佐子さんも、いっしょに学んでいます。4年目の大貫茂美さんは学習会初日、「巻頭言の『綱領は何のためにあって、どんな時に役に立つの?』はまさに私の声。学習をすすめて気持ちがどう変わるか楽しみ」と語りました。部長を兼務する県連事務局長の宮本進さんは「すでに3分の1を終了(4月11日現在)。現場では工夫が必要ですが、地域活動部がこの学習でフロンティアになり他の職場にもひろげたい」と意気込みます。
 民医連の理念と歴史を教訓として学び、実践する栃木民医連は、「小さくても民医連運動を引っ張っていける」と確信しています。

(民医連新聞 第1691号 2019年5月6日)