結成65年 民医連のDNA 世代を超えても受け継がれる思いは同じ 福岡親仁会
福岡県の最南端にある大牟田市は、かつて炭鉱が栄え1959年頃には、20万人以上が住んでいました。当時、炭鉱労働者の指名解雇やじん肺患者などさまざまなたたかいもありました。炭鉱閉鎖後も、働く人のために医療を続けた、社会医療法人親仁会を訪ねました。
(代田夏未記者)
「恵まれない人びと、貧しい人びとのための医療機関をつくりたい」。1955年1月30日、水田精一郎医師の願いにより、水田医院が開院されました。社会医療法人親仁会の原点です。59年には45床の米の山病院へと発展していきました。
■三井三池闘争で医療支援
当時、米の山病院のある大牟田市には日本最大の三池炭鉱がありました。しかし、日米安保条約の経済条項で、国内の石炭資源からアメリカの石油へエネルギー転換政策がすすめられました。59年12月11日、炭鉱労働者1278人に指名解雇が通知。労働者はこれに反対して労働組合に結集し、たたかいました。三井三池闘争です。
米の山病院も労働者の権利を守るべく医療支援を行いました。しかし、60年3月、長期のたたかいで、収入もなく生活苦に陥った一部の組合員が第二組合を結成。たたかいから離脱しました。
米の山病院・元看護副局長の原理杜子さんは当時三井系の病院で働いており、第一組合にいることでいじめを受けていました。「『原ー!』と呼ばれて駆けつけると10人ほどの医師や看護師がいて『窓も開けられないのか!』と理不尽に怒られた」「思い出したくない記憶」と話します。元看護局長の野田敦子さんも同じようないじめを受けていたと話します。「医療にはいくつもの保険があることや生活保護のことを米の山病院に来てから初めて知った」と振り返ります。
■えすかもんなし!
三井三池闘争後は、不況と失業で「4世帯に1世帯が生活保護」といわれる状況に。米の山病院も経営危機が進行、倒産状態になりました。栄養科で働いていた職員番号1番の坂田昭子さんは「納品を打ち切られたため、買い物やお米の交渉もひとりでしていた」と話します。そんな中「支払いの保証はないが、この病院は続けなきゃならん」と食材を納品してくれるお店もありました。「救われた」と元職員は口をそろえます。
元専務理事の川端信一さんは「ある看護師は患者を背負い五右衛門風呂にいっしょに入っていた。あのときは『えすかもんなし(こわいものなし)』だった。みんな患者を守らないといけない一心で働いていた」と語ります。また「米の山病院を守れ」と労働組合や患者会から声が上がり、入局したばかりの松石秀介医師を中心に再建に立ち上がりました。
そこで医療法人親仁会が発足、民医連へ加盟しました。元理事長の福田紀彦医師は、「どんなに虐げられても、貧困や差別に反対してがんばってきたヒューマニズムがあるのは、三池や安保のたたかいがあったから。民医連の綱領が生きている証し」と話します。
■じん肺患者を掘り起こし
日本経済が高度成長期に入ると、大牟田でも大気汚染により公害患者が発生しました。そこで88年に公害病大健診を行い、約500人が健診を受けました。
これを礎に、90年5月から三井三池炭鉱労働者のじん肺患者掘り起こし健診を実施。97年3月30日に炭鉱は閉鎖されましたが、20年後の2017年3月30日まで健診を継続しました。全25回の健診で1864人の受診があり、うち38%にじん肺の所見がありました。じん肺訴訟の支援も行い、全面的に勝訴。原告は100人以上にのぼりました。理事長の橋口俊則医師は当時を振り返り、「私たちの苦労より、地域の人の方が苦労してきた。それくらいやって当然」と言います。
「今年の1月1日に社会医療法人(注)になったんです」。橋口さんは笑顔で話します。親仁会は熊本県にも診療所を開設しています。しかし2つの都道府県で医療機関を設けている場合、それぞれの医療機関で社会医療法人を受けるための救急医療等確保事業を実施しなければなりませんでした。「そこで5年かけて国へ呼びかけ、熊本県知事の協力も経て、県をまたいでも社会医療法人を取得できるようになった」と橋口さん。続けていれば結果はついてくると自信が確信になりました。
看護部長の湯村命子さんは育成にも力を入れていると話します。「キラリ看護のつどい」ではナラティブを用いて、看護への思いを発表します。昨年は12回目の開催。他職種や研修医も参加します。
大牟田市は大きな病院がたくさんあり、ベッド数も多いため看護師の確保は大変。「そんななかでも、40人いる奨学生のほとんどは職員や看護奨学生からの紹介」と湯村さん。人に勧められる病院であると誇りを持っています。湯村さんは「先輩たちの思いを受けとめ、民医連看護を続けてほしい。いい看護をしたいという思いを持つ看護師を育てて、受け継いでいきたい」と語りました。
(注)社会医療法人とは、救急医療やへき地医療、周産期医療など特に地域で必要な医療提供を担う公益性の高い医療法人。税制上の優遇措置がある。
■ヨコのつながり
若い世代もいろいろな思いで民医連運動にとりくんでいます。臨床検査技師の山﨑紘一郎副主任は、入職3年目で労組の執行委員になりました。「団交でいい職場をつくりたいと思うとき、ぶつかる壁がある。最後の壁は貧弱な社会保障。どう改善できるのか、民医連と協力して署名活動などしている」と組合活動が民医連運動と結びついています。
理学療法士でジャンボリー実行委員の石松祐樹さんは、ジャンボリーを通じて社会情勢に関心を持ちました。「青年の活動は民医連の将来を担うものだと思う。全国ジャンボリーや平和アクションに参加して、社会情勢を考えてもらいたい」と石松さん。山﨑さんも「ヨコのつながりを大切にして、全国に仲間ができることは強み。災害が起きたときは、ラインで情報交換をした」と話します。
看護師の片山達也副主任は、「患者に寄り添うことは当たり前。そう思えるのは病院の方針が自然と身についているから」と話します。「先輩たちが築いてきたものは、当たり前ではなく大切なこと。続けていきたい」と語りました。
親仁会は「安心して住みつづけられるまちづくり」のため、全13事業所で医療と介護のネットワークを展開しています。大牟田市と地域を巻き込んだ認知症SOSネットワーク模擬訓練は、2004年から毎年とりくんでいます。
(民医連新聞 第1685号 2019年2月4日)