診察室から スーパー母ちゃん
民医連、医療生協で働き始めて早くも20年が経過した。この間、小さい病院で外科医として仕事を続けてきたが、それも笑顔の絶えない家族のささえがあったからだと感じている。とくにうちの妻はいろんな肩書きを持つ「スーパー母ちゃん」だ。
出会いは学生の頃にさかのぼる。高校から合唱の世界に飛びこみ、その魅力にとりつかれた私は、大学でも合唱サークルに所属した。そこで音楽を志し、ピアノを得意とする彼女に出会った。
社会人になりいっしょに暮らし始め結婚。最初は家庭をささえてもらっていた。子どももでき、少し余裕ができると、妻は少しずつ音楽の仕事を始めた。親子コーラスの指導から始まり、合唱団の伴奏や自宅でのピアノ講師、後輩と歌のお姉さん? を結成し地域で発表会などに参加。合唱の世界ではJapan Chamber Choirのメンバーとして、年に一度合宿をしながら演奏会も開くなど、今も音楽の世界で幅広く活動している。
また地域では、災害に備え町内会からの要請で防災士の資格を取ったり、今年度は小学校のPTA会長をしたりと、医師の私より何かと忙しい日々を送っている。
昨年8月、ひょんなことから全国放送の某テレビ番組に取り上げられる機会があった。近くのスーパーに来る移動図書館で妻が突然取材を受けたのだ。アポなし取材で自宅を突然訪問するという番組で、たまたま引っかかったうちの妻が自宅への取材をOKした。
ちょうど夏休みに入る前の日の取材だった。禁断のマンガ部屋が全国に公開され、子どものアレルギーのこと、小さい頃に頭を強く打って意識をなくしたことなど、子育ての苦労話を笑いながら答える妻。突然の自宅訪問にも、普通に対応できる肝っ玉の大きいうちの母ちゃんには驚かされるばかりであった。残念ながら松山では放送されなかったが、全国の知り合いから多くの反響をもらった。
いつもささえてくれている妻に感謝しながら、これからも地道に診療を続けていきたいと考えている。
(塚本尚文、愛媛生協病院)
(民医連新聞 第1685号 2019年2月4日)