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民医連新聞

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ひめは今日も旅に出る(20)「自宅で暮らしたい」

 難病患者はさまざまな制度にささえられて生きている。生命線である制度の手綱を握っているのは、自治体だ。病気とのたたかいは覚悟していたが、それを上回るたたかいが必要だった。どんなに不自由な身体になっても、手綱を引き寄せる努力がなければ、人間としての尊厳をまもれない。
 私は、自宅近くに朝日訴訟“人間裁判”の碑がある小さな町に住んでいる。2017年11月に障害福祉サービスを申請。2018年1月末、最重度の支援区分6、月207時間の重度訪問介護の支給決定が届いた。
 実際に重度訪問介護を利用し始めた3月には、病気の進行により介助者1人でできていた移乗や外出などが困難になりはじめ、家族とヘルパーさん2人体制でやりくりしての移乗介助となっていた。すぐにヘルパーさん2人介助の申請をしたが、どちらも「1人でできるように考えてください」と認められなかった。前回の訪問調査から5カ月経過しているにもかかわらず、新たに訪問調査を実施することも、病状含め本人への聞き取りもなかった。
 この回答は、私から生きる意欲を削ぎ、外出する気力をも奪うものだった。家族介護は限界にきていて、これ以上の負担を強いることは、事故が起きるか、家族が倒れるかだと容易に想像できた。在宅療養をあきらめざるを得ないという未来しか描けず、めずらしく、くじけそうになった。
 さまざまな制度を申請するということは、助けがほしいという声だが、行政にはなかなか届かない。その後、ケアマネさんと作戦を練り直し、主治医や保健師さんのお力を借りて再度申請。ようやく移乗時30分のみ2人介助、月288時間まで認められた。
 いまあたり前のようにある難病や障害福祉の制度も、先人たちの努力で1つひとつ制度化、充実させてきたもの。その恩恵を享受させてもらうだけでなく、自分の経験を通じて新しい前例をつくり、重い障害があっても、地域でふつうに暮らすことのできる社会にしていきたい。


文●そねともこ。1974年生まれ、岡山県在住。夫・長久啓太、猫2匹と暮らす。2016年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断をうける。

(民医連新聞 第1684号 2019年1月21日)