各地で自然災害多発 どんなときでも住民と手を結んで
2018年は、地震、豪雨災害、酷暑、台風被害など、自然災害が相次ぎました。民医連事業所のあるところでも、ないところでも、地域の人たちの声に耳を傾け、力を尽くす仲間の姿がありました。
年明け地域とともに再出発
倉敷医療生協・真備歯科診療所
昨年7月の豪雨災害で濁流にのまれ、診療を中断していた倉敷医療生協・真備歯科診療所が1月7日、診療を再開します。
昨年12月5日、同診療所では改修工事がすすみ、職員数人が仮設事務所で作業をしていました。真備町では組合員10人が亡くなり、職員も半数が被災。しかし、法人内の他の歯科診療所で勤務しながら、再開に向け奮闘する職員は、「被災した組合員や地域の拠り所として、ここに再び明かりをともしたい」と前を向いています。
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「水が引き、1階の惨状を見たときが一番ショックでした」と話すのは、倉敷医療生協の支部運営委員の尾黒麗子さん(76)。自宅1階は、天井まで浸水し土壁がはがれ落ち、泥まみれの家財が散乱していました。尾黒さん宅は改修しましたが、真備町に戻らないと決めた運営委員もいます。被災者の多くが町外のみなし仮設住宅で暮らすため、真備町はいま、夜には真っ暗になります。
一方、近所には、真備歯科の職員の温かい対応を知り、組合員になりたいという夫婦もいます。尾黒さんは、「立ち直るには時間がかかる。つながりを大事に、顔を合わせ話し相手になり、一歩一歩前にすすみたい」と話しました。
◆組合員の期待に応えたい
法人は7月理事会で、真備歯科の現地再開を決定。壊滅的な地域の現状や地理的な再発リスクと医療生協への期待を勘案し決めました。施設は元の規模に戻りますが、職員体制はしばらく縮小する予定です。時間はかかっても患者は戻ると考えています。被災後、「やっぱり医療生協の歯科がいい」と、法人内の他の歯科に通う真備の患者は600人に上ります。これまでの医療生協の活動への信頼と、支援活動を通じ医療生協の役割を地域に知らせることができたからです。
法人歯科群では、発災10日後から17回、のべ93人(全国支援含め、歯科医師34人、歯科衛生士59人)で、5カ所の避難所を訪問。「なくした入れ歯をつくって」という要求が多く、組織的な支援の強みを生かし技工にも対応。2カ月で100人以上の処置をしました。
8月からは組合員訪問を始め、10月末までに3012件(対話数1037件)を達成。「初の試みでしたが、若い職員も地域を知り、医療生協の歯科への期待と信頼を感じ、応えたいとの思いを強くしました」と話すのは、真備歯科診療所の佐々木学所長。「住民とともに復興をすすめることが私たちの役割です」と語りました。
組合員に元気もらい
真備歯科診療所
【岡山発】真備歯科では被災直後から民医連の支援や励ましの声を受けながら避難所を訪問し、義歯の紛失などの歯科医療要求に迅速に応え、組合員訪問で困っていることや要望を聞きました。
私自身も歯科技工士として、被災で未装着となっている義歯や冠の患者宅を訪問し、医療生協の他の歯科診療所で無事装着でき、困っていた患者からとても喜ばれました。対話で、真備歯科が再開することを伝えると、自身も被災しているにもかかわらず、多くの組合員から「がんばってくださいね」と声をかけられ、逆に元気をもらいました。
再開に向け組合員の信頼に応えられるよう、スタッフ全員で力をあわせてがんばります。
(柳根薫、歯科技工士)
民医連が全国支援した小屋浦地区で復興祭
広島民医連
昨年10月20日、豪雨災害で甚大な被害を受けた広島県坂町小屋浦地区で「負けんど~小屋浦復興祭子ども祭り」が行われ広島民医連と広島中央保健生協から18人が参加しました。
一番手で舞台に登場した広島民医連からは、佐々木敏哉会長があいさつ。広島中央保健生協が笑いケア体操やラジオ体操を解説、実演しました。会場内には健康チェックのブースも開設。30人が血圧や体組成測定などを受け、職員に被災による理不尽な思いを語りました。
佐々木会長は、健康相談で住民の思いを傾聴。「生活再建への道筋が見えない不安が、なにより大きい」と話しました。
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小屋浦地区では7月6日夜、天地川上流の砂防ダムが決壊。7軒が家ごと流され、大半の家も大量の土砂で埋まりました。
全日本民医連は同地区での全国支援を決め、広島民医連とともに9月末までに26回、のべ774人が、泥出しボランティアに入りました。10分作業しては10分休む、を繰り返さざるを得ない過酷な猛暑の中、全国各地から職員が駆け付け奮闘しました。
同地区に民医連の事業所はありません。広島民医連の西村峰子事務局長は、「不安もありましたが、全日本民医連から“困難なところに民医連あり”と助言をもらい、県連理事会として役割を確認した」と話します。
◆復興へともに活動したい
復興祭を企画したのは、個人で支援に入っている佐渡忠和さん。「泥出しで活躍した民医連に、ぜひ参加してもらいたい」と連絡をくれました。
佐渡さんは、支援が遅れる小屋浦地区で、発災直後から少数のボランティアと活動。「苦労していたところに、民医連が40~50人で駆け付けてくれた。思い出すと涙が」と話します。民医連の緑のビブスはボランティアの象徴になり、安心を与えました。佐渡さんは「住民から見えやすい所の作業をお願いした」と振り返りました。
町内会長の灘増男さんも、「おかげで、全壊判定の家でも、直して戻ろうかという人もでてきた」と評価します。一方、地区には46人が犠牲になった1907年水害の碑があり、ダムの危険性も以前から指摘されていました。「安全安心が担保されないと、帰ってきてとは言えない」と灘さん。
今後の課題は、住民の生活再建と安全安心のまちづくり。佐々木会長は灘さんに「健康づくり・つながりづくりでいっしょに活動したい」と伝えました。
(岡山と広島の記事は丸山いぶき記者が担当しました)
地震・全道停電から3カ月地域のとりでに
北海道苫小牧健康友の会・白石健康友の会
昨年9月、震度7の揺れを記録した北海道胆振東部地震。死者41人、全半壊・一部損壊など住宅被害は1万1000棟を超えました。さらに全道停電という未曽有の事態。地震から2カ月半がたった11月半ば、雪が迫る北海道を訪ねました。
◆安心して集える場を
11月17日、苫小牧病院から車で40分余り。次第に舗装路にひび割れや崩れかけた牛舎などが現れます。震度6強を観測した安平町です。ここに苫小牧健康友の会早来班が誕生したのは1年前。この日、班長の小谷礼子さん宅に15人ほどが集まりました。苫小牧病院の宮崎有広院長が、「がんと成人病」をテーマに30分ほど話しました。
安平町の応急仮設住宅は2期33戸の建設が終わり、入居が始まっています。80代の男性は自宅が全壊し、仮設住宅への入居予定。老夫婦と息子で3部屋ですが暖房器具は一つしかなく、不安な胸中を訴えました。宮崎さんは、「これから厳しい冬が来る。被災者が孤立しないよう、居場所づくりなどさまざまな工夫が大事」と言います。
診療室ではなかなか聞けないような家族の病気のこと、自身の健康問題などで質問が出て、宮崎院長はていねいに答えます。血圧を計っていた看護師の佐藤幸さんは、「こんな風に話せる場が求められていると感じた」と言います。
班長の小谷さんは、「地震から3カ月が経ち、余震の恐怖や先行きへの不安も募り、眠れないという人も多い。そういう時こそ、安心して心を開ける場が必要なのかも」と話します。
被害の大きかった隣町の厚真町からは、友の会会員の吉岡年子さんが参加していました。自宅は半壊で、余震のたびに傾きがひどくなります。
地震直後、近所の80代の夫婦のもとに駆け付けました。認知症の夫は無事でしたが、夫を介護していた妻は家具の下敷きとなって骨折し、入院しています。「地震で自宅での生活が困難になり、厚真町を離れる人も増えている」と肩を落とします。「地域の役に立ちたい」と、吉岡さんは元の場所で自宅を再建することにしました。
◆直後から地域を回る
札幌市の白石健康友の会と菊水地域の民医連事業所は、地震の3日後から「防災アンケート」を持って地域訪問を開始。2989軒を訪問しました。
地震の当日、友の会の役員で手分けし、一人暮らしや老々世帯の会員宅へ安否確認に回りました。「団地の10階に暮らす90代の会員を訪ねると、エレベーターが止まり、給水所にも行けずにいた。大変なことが起きていると感じた」と勤医協札幌病院地域健康課長の千葉ひとみさん。すぐに連絡を取り合い、全戸訪問をして防災アンケートをとることに決めました。
アンケートからは、避難所の場所を知らなかった、遠くて行けなかったなど、いざという時に避難所が機能するかという問題や、住人同士のつながりが薄く、情報が伝わらない問題、停電や断水になると高齢者は孤立してしまう…などが分かりました。訪問先では「心配してくれてありがとう」「勤医協は困った時に頼りになるよ」と、感謝と期待の声が寄せられました。
昨年1月から、友の会と民医連事業所は、町内会や社会福祉協議会と「高齢者の孤立化防止」と「災害時の対応」について懇談をすすめていました。今回の地震はその矢先に発生。友の会の本庄康二副会長は、「地域の人が把握している情報と突き合わせ、安心して住み続けられるまちを作るために、いっしょに考えていきたい」と話していました。
(丸山聡子記者)
(民医連新聞 第1683号 2019年1月7日)