「助けて」と言えない 親子に寄りそう 医療現場でとりくむ「子どもの貧困」
長野・健和会病院小児科医の和田浩さんの学習講演「現場からとりくむ子どもの貧困と共同の運動」の概要を紹介します。
小児科医である私が貧困問題にとりくみ始めたのは二〇〇九年。子どもの貧困が話題になっているけれど、自分の患者さんでは思い当たらず、どうすれば見えるのか? と考えたことでした。そこで、翌一〇年の外来小児科学会でワークショップ「子どもの貧困を考える」を開催。「定期通院に来ない場合に、貧困があるのでは、と考える必要がある」という発言が印象に残りました。思い当たる母子家庭があり、お母さんに聞くと、やはり貧困を抱えていました。それをきっかけに、貧困の実態が次々と見えてきました。
■医療現場で見えにくい貧困
貧困は必ずしも医療現場では見えやすくありません。患者さんの多くは自分から「経済的に大変」とは言い出さず、また「医療機関で相談することではない」と考えているためです。ならば、こちらから聞いてみようと考えました。
貧困を抱える親子は、ほかにも困難を抱えている場合が多いです。例えば虐待やDV、発達障害、外国籍、母子家庭、精神疾患、依存症、慢性疾患、若年出産、失業、不安定雇用などです。そしてこれらのいくつかは、医療機関でも容易に把握することができます。
気づいたら一歩踏み込んでみましょう。当院では「気になる親子」がいたら、看護師、事務、保育士(病児保育)でカンファレンスをします。「親はスマホばかり見ている」「隣に座っても目を合わせない」など待合室での様子、病児保育で保育士に家庭での様子を話してくれるなど、それぞれの視点でとらえた「気になること」が集まり、困難を抱える親子の様子が具体的に見えてきます。私は校医を引き受けている学校で生徒の相談にのったり、スタッフと自宅まで訪問することもあります。
困難を抱えた親がどんな人たちか、ある程度わかってきました。「貧しくてもけなげな親子」はほとんどいません。例えば、深夜に救急に駆け込んできたのに親はばっちりメイクをしているなど、外見や態度が受け入れがたい親が大半です。「助けて」と言えず、コミュニケーションが苦手です。これまでの人生から「先生」と呼ばれる人の前に出るのが怖く、奇抜な外見や態度は彼らなりのよろいかぶとなのだと思います。
逆に言えば、私たち医療者に「ネガティブな感情」を抱かせる親子は、何かしらの困難を抱え、多くは貧困も抱えていることがわかってきました。
「助けて」と言えるためには、二つの条件が必要だと、作家の雨宮処凛さんは述べています。一つは「自分は助けられるに値する、生きるに値する人間である」という自己肯定感、二つ目は、他人や社会に対する最低限の信頼感です。「社会に対する信頼感」とは、相談すれば何とかなると思える、バカにされない、ということでしょう。
しかし、困難を抱えた親たちは、これまで相談しても何とかならず、バカにされたり、「自己責任だ」と言われるなどの経験を重ねてきています。それゆえ「助けて」と言えないのです。
■医療機関にできること
小児科は困難を抱える親子でも訪れやすい場のひとつです。「いつでも相談にのりますよ」という姿勢を見せることが第一歩。すぐに相談しなくても、何かあったらあそこに相談しようと思える場所があることは大きなささえです。
二つ目に「つなげること」。使える制度や支援団体とのネットワークを広げましょう。
三つ目に、物資や食糧の援助、子ども食堂、無料塾などです。私の病院では米や子ども服を常備しています。「病院に行ったら米をもらった」ことが日常茶飯事です。
四つ目は「自己肯定感を育てる」こと。「子どもにコンビニ弁当を食べさせている」など、彼らは日常的に非難され続けている。けれど、子どもを空腹のままにはせず、食事をさせた、そのことを具体的に認め、ほめることです。
最後に調査・研究・提言・運動です。私たちは二〇一〇年から外来小児学会で「子どもの貧困ワークショップ」を続けています。また、地元では現場からの声をもとに子どもの医療費窓口負担無料化の運動にとりくんでいます。
現場で向き合う事例をデータとしてまとめ、マスコミなどにも積極的に発信しましょう。自分の言葉で語ることです。
貧困問題にとりくむことは大変ですが、やりがいがあります。いっしょに楽しくとりくんでいきましょう。
(民医連新聞 第1680号 2018年11月19日)